過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

大往生の人生設計ネットワークづくり

携帯を使い放題2200円にした。おかげで、あちこち友人に電話かけている。なにも用事がなくても、ひさしぶり、どうしてる? という電話するのも楽しいものだ▲昨日は、山梨の友人と1年ぶりの会話。坐脱のすすめ、という本の企画で盛りあがる。かれは年季の入った坐禅をしていて、坐っていればそれで満ち足りて幸せという男だ。で、どうやって死を迎えるのがいいかなあという話になった。

ぼくの定説は、断食でこの世を去るという即身仏コース。あれこれ栄養を入れるので苦しむ。死期をさとったら、空海のように五穀を食しないで、木の実と水くらいで暮らす▲ぼくの10日間断食の体験から、肉体は次第に衰退していくが、しかし〈あたま〉は冴えていく。そんな状態でこの世を去るのがいい。そうして仲間が集い合って、支えあって、断食死をめざす道場があるといいね、と。

かれは坐禅しながら肉体を去りたいという。なるほど、それは最高だ。至難だけど、不可能じゃあないかも。知りあいのお寺の檀家さんで、月輪観という瞑想をしている最中に、坐ったままこの世を去った人がいた▲しかし、いつ死が訪れるのか、わからない。次の瞬間かもしれない。だから、つねに坐禅の境地。いまここに生きているという境地になってないとねえ、と。

あと死んだあとは、樹木葬がいいか。あるいは灰にして海や山に撒いてもらうか。お墓などまっぴら。しかし、そうは言っても、サポートしあえる友だちをつくっておかないと。でないと、遺族が勝手に納骨してしまうよね、と▲どうやって死を迎えるか。どうやって埋葬してもらうか、そのあたり友人たちとサポートしあえるネットワークを作っておかなくては。大往生の人生設計ネットワークづくりを。