過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

きりしとほろ上人伝

先日、青空文庫で読んだ芥川龍之介の『きりしとほろ上人伝』が心にのこっている▲この世の中で一番強いものに仕えたいと念じていた男は、悪魔、そして次に隠者と仕え、ついには「えす・きりしと」(イエス)こそもっとも使えるのにふさわしい方と知った。洗礼名を、きりしとほとろ、という。

しかし、どうしたらイエスに会えるのかわからない。文字は読めない。断食も不眠の修行も全くできない男に、隠者は、「大河の渡し守」をせよと伝える▲人に優しく振舞えば心根が磨かれる。怠らず勤めればいつか必ずイエスに会うことができる、と。そうして三年。男は、川辺に庵をむすび、風雨もいとわず渡し守を勤めた。が、ついにイエスに会うことはなかった。

ある夜更け、河のほとり10歳くらいの少年がいた。「どうしてこんな夜にひとりでいるのだ」と聞くと、「父のもとに帰るのです」という。男はこの少年を抱いて、嵐の中、船を渡す。しかし、抱いているうちに少年は次第に重たくなってくる。限りなく重たい。ようやく岸につく▲「どうしてお前はそんなに重たいのだ」と聞く。少年は微笑んでいう。「それはそうでしょう。あなたは今宵という今宵こそ、世の苦しみをになったキリストを背負ったのだから」

その夜から、男は川辺に姿を見せなくなった。芥川は、最後にこう結んでいる。されば馬太(またい)の御経(おんきやう)にも記(しる)いた如く「心の貧しいものは仕合せぢや。一定(いちぢやう)天国はその人のものとならうずる。」