過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「運・鈍・根」 鈍がもっともたいせつ

国立に住んでいたとき、ご近所に漫画家のサトウサンペイさんがおられた。朝日新聞に長年にわたって「フジ三太郎」というマンガを連載されていた。そのサンペイさんから、こんなお話をお聞きしたことがある。

大阪の商人は、「運・鈍・根」が大事だという。「運」がいちばん上にあるときはいいけれども、「運」がやってきてないときどうするか▲そのとき、いちばん大事なのは「根」(根気)だ。どんな仕事でも、根気がなかったら長続きしない。長続きしさえすれば、そこにスキルが生まれて、運がひらけてくる。

ところで、根気というものは、「自分は鈍だ、人より鈍だ」と思わなければでてこない▲わたしの恩師はこういった。人が一年やったことなら、自分は鈍だから三年かかる。人が十年かかったことなら、自分は一生かかると思いなさい。これが反対に自分は鋭だ、優れている。人が三年かかることは、オレなら一年でやってみせるなどと思っていると、焦りが出て必ずけつまずくよ▲ぼくは、その話をかみしめて「おれは鈍だ。おれは鈍だ。五年かかってもいい、十年かかってもいい」と言いきかせてやってきた。

この話を思い出したのは、ぼくの友人でそういうタイプの男がいるからだ。なるほど粘り腰で、けっして鋭いというところはなく、ぼくとちがって飽きっぽくない。近ごろ、自信がついてきたようで、この感じならいろいろと仕事もうまくいくんじゃないかと思われる。そんなオーラが出てきた。で、かれをみていて「鈍」(どん)のたいせつさを感じた。