過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

あるじいさまの霊的体験

滝行やら成仏のことをのことを書いたが、あるじいさまのはなしを思い出した。▲お会いしたときは、84歳。尼崎で、四畳半一間に一人暮らし。廊下を歩くと、ぎしぎしいう古い木造のアパートだ。訪ねると、じいさまは、ステテコをはいてテレビを見ていました。「こんちわー」とあいさつすると、「いやあっ! よく来たね」と、嬉しそうな笑顔。▲なんとも屈託のない、ぬけた笑顔。その顔を見たら、くつろいでしまった。

じいさまは、霊についてかなり詳しくて、独特な供養の仕方をしていた。お金は一切とらない。「お金を取ると、霊を供養する力が落ちてしまう。自分は軍人恩給で暮らしていけるので、お金をもらおうとは、思わんのだ」と。そんなじいさまの体験だ。

じいさまは、戦争でフィリピンに行った。100人くらいの部下がいたが、生きて帰れたのは、一割ほどだった。終戦になったが、戦死した部下たちが、霊となってあらわれるようになった。彼らは「ずっと迷い続けていて苦しい、どうか助けてほしい」という。▲靖国神社に詣でても、祀られている霊は成仏していない、現世に執着していて、迷っており、次の霊界に行ってない。英霊(つまりは神さま)などにになっていない。そう、強く感じた。

彼はお寺の生まれだったが、「こうした不成仏霊は、どうも仏教では救えないんじゃないか。古来の神道の行法がよいのでは」と思うところがあり、ひとり山中の修行に入る。▲はじめは40日間の断食行、それから無言の行、そして滝行と続けた。無言の行というのは、一言でも発したらまたゼロからやり直し。数ヶ月かかった。そして、滝行をしていると、幽体離脱を体験する。滝のなかにいるのに、自分は空を悠々と飛んでいる。そして、空から滝に打たれている男を見てみると、それは自分だった、という。▲そんな行をすすめていって、じいさまは、いろいろ霊や供養についてのことが、自分なりに体得されていったのだった。(続く)