過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

質が変わる瞬間がある

日常の暮らしのなかで、ちょっとした時間でも坐るようにしている。瞑想というと「なにか特別なこと」というイメージがあるが、まあ静坐や黙想といったらいいか。ともあれ、瞑想は日々の生き方のうえでの、たいせつな要素になっている。

瞑想していて、やがて雑念がおさまってくる。と、ある時点で、質が変わる瞬間がある。「あ、変わった」と身体感覚でたしかにつかめる。波動が変わる、といったらいいか。身体も心も、自分という存在が粒子のあつまりとしたら、それが微細になるような……。外の世界との仕切りなくなって、溶けあってくるような。体が軽くなって、喜びが生じてくる。エネルギーが充ちてくる。あきらかに次元が異なっているのだ。

そこが、瞑想の魅力の一つでもある。だが、そこの喜びをもとめて瞑想をしていると、これが得られない。結果として、その次元は現れるのだけれども、それを求めて瞑想するとなると、遠くはなれていく。