過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

瞑想は、生活のなかの「今・ここ」でできること

さてなにをしようかなあ、なにかする元気もないし。……と、ふっと空虚な時間がある。そういうとき、多くの人はどうするだろう。▲たとえば、ごろっと横になってテレビ見る、ネットを見る、おいしいものを食べる、買い物をする……。食べたり買ったすると、なにか充足感があって、ひと仕事したぞ、達成したような気になる。▲でも、こうした生き方をしていると、限りなくだらだらと鈍くなっていくような気がする。「冴え」がなくなってくる。

いま心がけているのは、こういうふとした時間が訪れたとき、瞑想することだ。▲目をつむり、姿勢を正す。吸う息と吐く息に意識を向ける。体の感覚に意識を向ける。考えが湧いてきたら、それは追わない。つねに体にもどる。頭にエネルギーを働かせない。▲ほんの数分でもいい。戸外でも家の中でもいい。立っていてもできる。

瞑想すると、ほんの数分でも、リセットされた気分になる。あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ……というところから、まあひとつ、じっくり腰をすえて、と落ち着いてくる。▲瞑想は苦行じゃあない。なによりリラックスできる。疲れがとれてくる。身体の芯から静かな喜びがわいてくる。エネルギーが充ちてくる。▲さらには、深くなっていくと、リラックスを遊ぶというか。自分という宇宙にあそぶというか。あるがままでいいってことを楽しむというような、そんな心地にもなる。

近ごろは朝起きたときと寝るとき、布団の上で瞑想している。一日の始まりと締めに瞑想するのは、なかなかいい。なにかを起こすとき、なにかが完了するときに瞑想するのもいい。▲瞑想は、生活のなかの「今・ここ」でできること。道具もいらない、なんにもいらないのだ。きょうは近くの川にランを連れて瞑想を楽しんだ。