過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分の葬られ方

先日、見舞いに行った友人が亡くなった。入院して一ヶ月。悪性線維性組織球腫という急速に大きくなる肉腫。小さなシコリがどんどんと肥大化していった。手術したが、手遅れだった。▲妻子と別れてひとり暮らし。はや見込がないと思って、生前、死んだあとの葬儀のこと、お墓のことなども聞いておいた。「葬儀もいらない、坊さんもよばないでほしい、墓もいらない」ということだった。

けれども、遺族は葬儀を行い、先祖のお墓に入れるらしい。費用も100万も200万もかかる。まあ、本人の性格からして、そのようなことをしたら、あの世から文句を言いだしそうだけど。かといって、ぼくが横からあれこれ言うこともない。▲縁者は、世間並みに今までの慣習通りに事を運ぼうとする。坊さんも呼ばない、身内だけの密葬、墓もないということなど、普通には考えられない。また、自分たちでどのように葬儀をしたらいいかなど、見当もつかないと思う。

自分の葬られ方というのは、よくよく計画しておかないといけないな。▲それは、こうして元気でいる日常から用意しておかなくちゃ。危篤になったら、誰々に連絡してほしい。無駄な延命処置はしないでほしい。戒名も墓も要らない。遺灰は近くの川に流してほしい。死んだら、この名簿に連絡してほしい。文面はこれ、と。そしてなにより、それをちゃんと実行してくれる信頼できる友がいなくちゃ。

まあしかし、死んでしまえばあとは知らない。▲死んでしまえばこの世のことは、もう自分の世界にはないから、そこは存在しないとおんなじ。だから、あれこれと、死んだあとのことを心配することもない。そういう考えもあるが。