過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こんな坊さんが、まだいたんだなあ

先日、書いた村上光照師について。▲村上師にはじめて出会ったのは、新宿の中央公園だった。二人の僧侶が、公園の噴水の水を飲んでいた。フランスパンをかじっていた。上座仏教修道会を主宰していた竹田さんから、リュックを背負って行脚していると聞いていたので、──もしや、この方が? と思って声をかけた。▲すると、「はい〜、村上ですぅ〜」。穏やかで悠然とした声の響き。なんとも人なつこい笑顔がかえってきた。

法華経のことやら音楽談義をした。「ほうほう、あなたは詳しいねえ」と、よく聞いてくれるので、ぼくは調子にのって話してしまう。「人間、有名になったらあかんのですよ。ぼくはなるだけ、世に出ないように出ないようにしとります」そう言っていた。▲公園を発つとき「どれ、でかけましょうか」とリュックをかつぐ。眼の不自由なお弟子さんにリュックの紐をつかまらせる。お二人で、夕陽を背にのんびりと歩くさまは、さながら絵のようだった。▲ははあ。こんな坊さんが、まだいたんだなあと、余韻が残る出会いだった。

そうして、何年か後。秋葉原の駅でばったりと、出逢った。うまいコーヒーがあるよというので、焙煎コーヒーの店で雑談した。▲「ぼくはなんにも持ち物がありません。でも、みながウチへ来て下さい、どうぞ、ウチにいて下さいという。なんにも無いっていうことは、なんでも持っているみたいなものだねえ。それで、ぼくはリュックひとつで、全国を行脚しとります。どこに行っても、そこが道場。行ったところ行ったところで、ありがたいんですわ」

それから数年後。▲南伊豆へ遊びに行ったときに、──もしや村上さんがおられるかも、と思い、松崎の草庵を訪ねてみた。幸いなことに、数日前に全国行脚から戻っていた。小さな木造平屋の、粗末な草庵だ。床の間には坐禅姿の澤木老師の写真が掲げてあった。▲近所のおばちゃんたち四、五十人が、草刈りの手伝いに来ていた。そのあと、みんなでワイワイと楽しそうに食事会。わたしも混ぜてもらった。しばしお話をうかがう。村上さんの声の響きの中にいると、くつろげてしまうのだった。

あの笑顔、あの悠然さ、のんびりとした落ちつき、あの遊び心の楽しさ……。そういう生き方をみていると、「人間あくせくせんでもどうにか生きていけるんじゃなかろうか」という安心感が得られるような気がした。▲「仏法は餌食拾いの方法ではない。自分の本質がいきる生き方である。道のためには生命を全うしなければならぬが、道のために食えなければ飢え死にするまでのことである。」とは村上師の師匠の澤木老師のことばだ。