過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

片づけと瞑想の暮らし

年末年始は、片づけと瞑想の暮らし。正月だからといって、わざわざどこかに行こうという気もない。酒も飲まない。おいしいものも食べない。人に会いにもいかない。テレビも見ない▲ただ、坐って瞑想していると、それだけで心地よい。満ちたりてしまう。

瞑想とは、想念が冥(くら)くなること、考えが止まること。思考がフェードアウトすること。ま、思考が完全に止まったら、もう悟りだと思うけどね▲思考が止まってくると、波立つ水面が鏡のようになって、澄み切った境地になるのだと思う。瞑想していると、そんな静寂な入り口体験が、かすかに起こる。

思考というものは、ふだんいそがしく動きまわって瞬時も休むことがない。相当にエネルギーも使って体はヘトヘトみたい。それが瞑想によって止まってくると、大脳の前頭葉は休むことができる▲そうすると、大脳の古い皮質が、活性化される。すなわち原始的ないのちの力が湧いてくる。

べつの言い方をすると、瞑想とは、全身の隅々の細胞に、温かい〈波動〉というか〈気を〉送るようなもの。そのことで、全身の細胞が有機的に調和されていくよう気もする▲大切なのは吐く息。丹田呼吸といって、ヘソ舌三寸のところにある丹田に力を入れて息を吐く。丹田から、ながーく吐く息と共に、〈大丈夫だよ〉〈心配ないよ〉と、自分自身の本源にむかって気をおくる▲それによって、新鮮な酸素が届いて血行もよくなる。だから、瞑想とするとても元気になる。エネルギーが充電されるような気がするのだ。