過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

〈芽でたい〉のは節分明けの頃

毎年そうだけど、正月になってもまったく気分が出ない。ちっとも〈めでたい〉と思わない▲初詣に行くわけじゃなし、おせちを食べるわけじゃない。年賀状も出してない。返事は旧正月にだそうと思っている。テレビもほとんど見ない。

新年のあいさつ回りもしないし、来られることもない。友人はちょいちょい遊びに来てくれるけどね▲それでも、年末は片付けと大掃除をしようと思ってはじめたが、終わらない。いまだに片付けの最中だ。エンジンがかかると止まらない。あと10日くらいかかりそう。

もうもうとした埃の中で片付けていたので、どうも風邪をひきかけている。ちょっとヤバい▲で、さすがに寒風の中のドラム缶風呂はやめて、足湯にしている。45℃の熱い足湯につかって長電話したり読書したり。飲むのは熱い白湯ばかり。そのため、いま体温がたいへんに暖かくなってきた。

ぼくにとっても新春は、節分あけのころ。陰と陽との節が分かれるところ。その頃から、確実に朝の光の質が変わる。大地のエネルギーが胎動していくのが感じられる▲〈めでたい〉というのはたぶん、〈芽でたい〉じゃなかろうか。やっと芽が出てきそうだね、それが〈めでたい〉。それは、体感的にはこの正月じゃなくて、節分明けのころだ。