過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

つねに戦場というか、戦いの同志みたいな関係の夫婦

これからどうする。この場合どうしたらいい。
妻とあれこれ打ち合わせ。
これからの企画、いまの課題。問題点の絞り込み。

寝っ転がって打ち合わせ、くらいがいい感じ。
大切なポイントが浮かぶが、寝っ転がっているので、メモをとるのもかったるい。
しかし、頭と口だけは動く。

そんなときは、iPhoneで音声入力変換が便利。
speechyのソフトで喋れば、テキストに変換される。それがEvernoteに同期される。あとで企画書を作り上げるときに生きる。

お互いにすこし元気なときは、パソコンでmindmasterでマインドマップを作りながら整理していく。ひとりはパソコンに向かい、ひとりはラクラクな椅子に寝っ転がっての打ち合わせ。

つねに戦場というか、戦いの同志みたいな関係の夫婦。

美しいガクアジサイだった

「花は西日を避けたほうがいい」っていわれない?
と聞かれた。
うーん、意味がよくわからないけど……。
その方は、ぼくに花をあげようということだった。でも、西日のあたる花だから、そんなによくないんで……という意味を含んでいたのか。
それは、美しいガクアジサイだった。お星さまのようなかたちの花が周りについていた。八重の淡い紫色。
「きれいな花だねえ、めずらしいね」。
しばしながめていた。挿し木をしたら、ちゃんと育つよと。その花をあげたいという。
「この花はね。たったひとりの娘が、母の日のお祝いにくれたものなの。いまじゃ、唯一の形見。こんなに大きくなってね。枯れさせちゃ、もったいない」。
この花を株分けしたいから持っていってね、と。
ひとり暮らし。夫を数年前に亡くし、頼りのたった一人の娘も亡くした。
いろいろと人生の深みに出会う。

すこしずつ畑をば

畑仕事を手伝いたいという奇特な方が現れて、ちょくちょくきては耕してくれている。
黒大豆、タイの超辛い唐辛子、クーシンサイ、藍などを植えてみた。
あかりは、畑の水やりが楽しくてはしゃいでいた。子どもは土遊び、水遊び、そして火の遊びが大好き。そうした子どもたちの交流の場作りにも。

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訪ねるのは皆さん80代。布絵作家、お寺の住職たち。

会えるうちに会っておかないと、もう会えない。会っても、もう語り合えないということが度々起きている。そういう自分こそ、いつどうなるのか、わからない。

なので、ひらめいたら電話するなり、相手の都合を考えずに訪ねるようにしている。

きょうは、まちなかに用事があってでかけた。片道50キロと遠い。せっかくなので、あちこちに寄る。ダイソーサイゼリヤは定番。

訪ねるのは皆さん80代。布絵作家、お寺の住職。

日蓮宗系のお寺は、本門佛立宗(八品派の流れ)の専門学校の理事長をされている方で、「あなたがくると、勉強になっていい、刺激になっていい」と喜んでくださった。

上行菩薩結要付嘱、日隆師、種脱相対、報中論三、日蓮漫荼羅についてなど、いきなりトップスピードでのやりとりとなる。こういう話し合いができるのは貴重なこと。住職は教学が得意な方だが、専門は、俳句、短歌、都々逸などで、お寺で毎月その講座を開いている。

そのうちZOOMでもご出演お願いしますというと、「そんな難しい話よりも、中世の祖師たちの和歌を論ずるというのが、おもしろいじゃないか」ということになった。

法然親鸞道元日蓮、さらには一休など、和歌のみならず、和讃や狂歌などを作っている。それらをとりあげて、語り合うというテーマ。

高校時代の恩師が住職をしている浄土宗のお寺も訪ねた。残念なことに、脳に腫瘍ができて病院に入ってしまわれた。高校時代のお元気な姿しか思い浮かばない。

帰宅すると、吉野の修験道の総本山の管長のZOOMインタビュー。編集の仕事が動き出してきていて、ありがたいこと。

布絵作家を訪ねる

布絵を毎日せっせとつくっておられる竹山美江(たけやまよしえ)さんを訪ねた。83歳でひとり暮らし。いまは、野の花がテーマだという。
3年前に「もめん大好き」という作品集を作らせてもらった(いちりん堂発行)。「二作目もつくってね」と言われて、7月から撮影開始だ。
「もめん大好き」の作品集は好評で、「浜松百撰」という月刊誌が、作品を毎月、連載してくれている。
こうして毎日、創作に打ち込んで楽しく暮らしているってすごいことだ。妻に帽子を、あかりにかっこいいジーパンを、ぼくにクロステッチの布袋など、たくさん頂いた。
──あと10年。現役で活躍していろいろ教えてくださいよ。
「10年なんて、とてもとても。せいぜい5年よ」と。

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ロック・バランシング 気田川

夕方、いつものように気田川であかりとロック・バランシング。
あかりも上達した。
「おとうちゃんだって、やればできるんだから」と励まされた。
あかりの石積みを眺めて、こちらはダンスでリバランシング。〈からだ〉が気持ちいい方向に、手や足を伸ばしていくだけ。

 

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無力感を味わってこそ、はじめてほんとうの祈りが起きる


──日本は、もうすっかり停滞してしまって、これから落ちていくばかり。
「それはもしかして、日本のために良いことではないかと思う」。

──それは、どうして?
「無力感を味わってこそ、はじめてほんとうの祈りが起きる。そこから始まる。自分のヴァーサナ(前世からの傾向性、宿業とか熏習みたいな意味合い)に気づいて、霊的な修行が進むことができるから」。

──日本人は、勤勉で型にはまって、世間の顔色を見ながら頑張って忍耐するみたいなパターンが多い。
「それは識別力がすごく大切。多くの人は一生懸命にやっていても、枠を超えられない。なぜなら、自分のヴァーサナによって動かされている。そこに気がつかない」。

──これから日本は、自殺する人も増えると思う。どう思う?
「自殺しても、宿題を残して去るだけでまた次の宿題をしなくちゃいけなくなる」。

──やっぱり、祈りしかないんだよね。
「祈りがたいせつ。でも、他人を変えようという祈りをがんばってもだめ。自分を変えないで、他人は変わらない」。

10年ぶりくらいに、インドで出家した友人と縁あってZOOMで話をした。彼とのやりとりで印象に残ったやりとり。

知人が失踪した

人生、いろいろ。
知人が失踪した。もう十日あまり連絡なし。

妻と子どもが三人いる。子どもは、まだ幼い。
ケータイを変えてしまって計画的だ。連絡は取れない。
失踪の理由など、わからない。
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うわあ。そんな男には見えないんだけどなぁ。人間、わからない。
事件性はないとみて、警察は深入りできない。
しかし、いろいろ調査でつかめた。ある都市で買い物した情報など、キャッチされた。
ということは、生きている。死んではいない。そこは安心。

しかし、奥さんはたいへん。子どもたちも不安が募る。
なにより疾走した本人は、つらくてつらくてたいへんだろうなあ。

このまま待ち続ければ、帰ってくるのか。
このまま帰らなかったらどうしよう。
暮らしはどうなる。子どもたちは。

でも、どうやって探したらいい。
 
そんな相談を友人を通して受けた。
彼の職場の上司に電話してみたり、いろいろ背景を聞いてみた。
しかし、はっきりしたことはわからない。
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ぼくの友人(知人とは別の人物)も、そんなふうに突然、蒸発した。
彼は蒸発して、四国遍路をしていた。そして、山小屋にこもったりしていた。ついに妻のもとには、帰らず。しかし、養育費だけはおくり続けていたという。そこはすごいな。

だから知人も、ある日、ひょっこり帰ってくるかも。
それが、一週間のこともある、一か月。いや一年。いや十年、二十年。

そんな話をしていた。
もう「祈り」しかないよね、という話をしたのだった。

そうしたら、いま先程の情報。
どうやら帰宅したらしい。二週間ぶり。
ともあれ、よかった。よかった。
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家庭があっても、突然、蒸発したくなる気持ちはわからないではない。
ストレスがすごく溜まったり、もう人生が嫌になったり、ゼロからやり直したくなったり。まあ、失踪できるというのは、まだ若いわけで。エネルギーがあるともいえる。年とったら、朽ち果てていくしかないわけである。

ともあれ、この人生、逃げ切れるものではない。
現実を乗り越える鍵は、現実に直面するしかない。そして祈りだ。
それが早道。そこは、わかっているつもりなんだけど。人生、難問多し。
後年、ふりかえれば、それこそリアリティがあって、なんと楽しかったことよと思うのかもしれない。

夕方から深夜の音

コッコッコッコッコケーー。騒がしいと思ったら、ツガイの白いチャボが卵を産んだ。きょうで3つ目だ。卵を孵化させて、ひよこを殖やしたいものだ。でも、親鳥はまったく温めないんだなあ。

ケロケロケロガーガーガー。夕方から深夜まで、ずうっとアマガエルが鳴き通し。鉢にはオタマジャクシがいっぱい。元気なことだ。

ゴゴーーーン。9時になるとお寺の梵鐘の音がする。
しばらくして、春野町のオルゴールの音(すみれの花の……のメロディー)が聞こえる。
それにあわせて、甲斐犬のランがワオーーーンと遠吠えする。ランも10歳になる。すっかり老いてきた。わたしも同様。

夕方、雲間から射す夕陽が赤くて幻想的だった。いいねえーと、あかりと眺めていた。

自分なりの「無常」的生き方

「会ってみよう」「話してみよう」「やってみよう」というひらめきがある時こそが、最良のタイミング。

ひらめいたものの、その時、まだ準備ができていない。気分が優れていない。相手の事情もある。なので、「こんどまたの機会に」「次の機会でもいいか。明日もあるし、明後日もあるし」。

……なあんて言っているとき、機会を失った場合が幾度もあった。

状況は刻々と変わるのだ。相手が死ぬかもしれない。なにより、自分が死ぬかもしれない。ひらめいたときこそ最良のタイミング。不完全でいいんだ。崩れてていいんだ。それが自分なんだし。なにより、「そのとき」は、もう二度と訪れない。

そんな感じの生き方になってきたよ。なので、一貫性とか、継続性とかは二の次になっている。だって、変化することがベースなんだから。自分なんてコロコロ変わるんだから。それはそれでよしとする人生になってきている。

自分なりの「無常」的生き方。

語りかけのカードを作ってみた

耳が遠い利用者さんのために、語りかけのカードを作ってみた。

耳が遠いと、やりとりがなかなかできない。孤独になって暇を持て余す。
かなりの高齢のために、ひとりで読書とか塗り絵も、難しい。
やはりおしゃべりが一番いい。けれど、耳が遠いのでそれができない。気の毒だなあと思う。
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YouTubeで歌詞の字幕テロップの流れる昭和歌謡とか演歌の映像を流すとよく見ている。
昭和歌謡唱歌などは好きなので、よく歌ってくれる。しかし、耳が遠いとみんなと歌は合わせられない。
大きな歌詞を指示棒で示しながら、歌をリードする。開放弦での伴奏なのでギターを伴奏しながらできないことはない。
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しかし、歌ばかり歌う訳にはいかない。
で、筆談してみた。
小さなホワイトボードに、「ご主人はどんな人でしたか?」「いま何歳ですか?」「お子さんは何人?」と次々と書いては、話してもらう。
ひとりで自分のことを話している分には、ご機嫌もいい。こちらは、語ってくれることにうなづくだけ。
しかし、ホワイトボードに書いては消すのもいいが、カードを用意してみようか。思いついたのが、写真のようなカード。ダンボールを切って作った雑なつくりだが。そのうち、俳句とかことわざカルタとか、発展していくかもしれない。

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現実世界の『法華経』と現実世界を超えた『法華経』

日本で有名なお経は『般若心経」と『法華経』だ。『般若心経』は、短くて読誦しやすい。写経されるお経の代表格だ。

法華経』は、いわば日本仏教の基礎となっている。比叡山において密教と融合して本覚法門(凡夫はもともと悟っている)の土壌を形成した。

鎌倉時代の祖師たち(法然親鸞日蓮栄西道元など)も、そこから生まれた。

戦後の新興宗教霊友会立正佼成会創価学会など)も、『法華経』の教えを実践の基軸においている。

このように日本の文化に大きく影響を与えたのが『法華経』といえる。
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ここで、『法華経』の内容を説明しようというとき、ややこしい。

たとえば『法華経』のなかに『法華経』が出てくる。『法華経』のなかで、『法華経』を褒め讃えている。

どういうことか。

文字として伝えられた『法華経』とは別に、文字に伝えられない『法華経』があるともいえる。

釈迦の生まれる以前に、『法華経』は説かれてきた。また異次元の数多の仏菩薩によって『法華経』が説かれてきた。そう『法華経』に書かれている。

すなわち『法華経』は、たくさんあることになる。
大きくいうと『法華経』は2つ。

1)現実世界の『法華経
2)現実世界を超えた『法華経

現実世界の『法華経』は、釈迦によって説かれたとされる『妙法蓮華経』(1部8巻28品:『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』)。

現実世界を超えた『法華経』は、文字によって表されない天文学的で膨大な量の教え。

いかに膨大な教えか。たとえば、「日月燈明仏」が説いた。この仏は二万仏もいたという。妙光菩薩が説いた。大通智勝仏が説いた。その息子の十六王子が説いた。阿私仙人(釈迦の過去世の師匠)が説いた。威音王仏が説いた。不軽菩薩が説いた。

そのように『法華経』に説かれているのだ。
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それらは別々の教えなのかというと、どうもそうじゃないらしい。

そんなにたくさんの『法華経』があっても、それらはすべて「無量義・教菩薩法・仏所護念」と表現される。計り知れない深い意味があり、悟りを求める者のために説かれ、仏が守護している教えという。

では、そんなにありがたい『法華経』とは、いったいどういう教えなのか。どこがどうすごいのか。
これが、いくら読み込んでも、どうにもわかりにくい。

そのあたりを詳しく論じようと思うけれど、えらく長くなるので、また別の機会に。

まとめると、
①『法華経』は日本文化に大きな影響を与えてきた。
②鎌倉仏教の祖師たちは、『法華経』を学んだ。
新興宗教の多くは『法華経』をたいせつにしている。
④『法華経』には現実世界の『法華経』と現実世界を越えた『法華経』がある。
⑤それらはすべて、仏によって守られている。

他人事には思えない

チョコ(家内の母が連れてきたパピヨン)とラク(近所のカヤックスクール:トッシーの飼っているラブラドール)が出会ったら、ものすごい勢いで遊んでいた。

チョコはまだ1歳にもならないので、元気いっぱい。
ラクは11歳。もう年なので疲れてヘトヘト。なのに、遊んで遊んでーとチョコが襲いかかってゆく。

他人事には思えない。
「まるで、あかりとおとうちゃんみたいだね」と言うと、あかりが「うん、そうだね」と頷いていた。

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百歳万歳

「百歳万歳」の写真。まさに100歳のふみ子さん。うちの利用者さん。ほんとうにすごい。
よく一緒に歌う。水師営、大楠公君恋し、宵待草。戦後歌謡のテレビの映像を流していたら、橋幸夫舟木一夫の唄を一緒に歌ってた。
撮影してプリントしてダンボールで額装した。縁は、墨とインスタントコーヒーを混ぜた液で塗ってクレヨンで飾り。

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