【この身体は水瓶のように脆い】2025.12.15
『ダンマパダ』の偈から
40 この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように(堅固に)安立し、知慧の武器をもって悪魔と戦え。勝ち得たものを守れ。――しかもそれに執着することなく。
41 ああ、この身はまもなく地上に横たわるであろう、――意識を失い、無用の木片のように、投げ捨てられて。
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インドを旅すると、サリーを着た女性たちが頭に水瓶を乗せて何度も往復している姿をよく見たものだ。
水道のない時代、水瓶は水を貯めておく生活の必需品だった。素焼きだと水分が表面から蒸発するので、夏でも水はひんやりと冷たい。大事に使えば何十年も保つ。しかし、脆くて壊れやすい。ぶつければひびが入り、もう使い物にならなくなる。
身体もまた、水瓶のように脆いと言えるだろう。
私自身、間質性肺炎を患い、状態は重篤だ。肺はどんどん機能を失い、もう元には戻らない。
酸素を十分に取り込めず、吸い込んでも体に吸収されにくい。つい1年前までは元気に走り回り、川で泳ぎ、カヤックを漕いでいた。今年の初めまで、水辺での活動を楽しんでいた。
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しかし、近頃は状況が一変した。もはや何もできなくなっている。布団を少しずらそうとするだけでも、息苦しさに襲われる。
寝ているときは苦痛を感じないので、あれをしよう、これをしようと計画が浮かぶ。けれど、いざ立ち上がろうとすると、あまりの苦しさに意気が萎えてしまう。治る可能性が全くないとは思わないが、確かなことはわからない。
医師は「元には戻りません」と言う。不可逆的なのだ。
だから、今のこの体の状態でできることを、しっかりとやっていくしかない。身体はこのまま維持していくとしても、心を整える道はある。
ダンマパダが説く「悪魔と戦う」という表現には少し違和感を覚えるが、自分自身の内なる怠惰や放逸、思考の迷走をしっかりと制する道は確かにある。
ひたすら呼吸に意識を向ける。動作に意識を向ける。
家の縁側にある6メートルの廊下を、ゆっくりと歩く瞑想。足を上げ、運び、下ろす。その一連の動きに意識を集中して歩く瞑想。ただこれさえも、今となってはかなり苦しい。
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どんな瞬間でも気づきを持って生きること。それに尽きるのだろうか。
頑張るというよりは、「それしかできない」という事実。その「それしかできないこと」に精一杯集中する。それだけなのだ。
「脆さ」と向き合い、それでも「気づき」という心の城郭を築く道を歩もうとしているのだが。