過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

祇園祭で巡回する船鉾

祇園祭で巡回する船鉾」
祇園祭は山鉾が巡回するのだが、これは船鉾
②かぎりなくめでたい装飾のてんこもり
祇園は、インドのブッダに由来する
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ある意味では宝船そのもの。まことにめでたい。祇園祭で巡回する船鉾だ。普通は、山鉾なんだけれど、これは船。
鳳凰が船の先頭にあり御殿のような屋台には金のしゃちほこ、船尾には錦の御旗のようなもの、胴体には麒麟。おそらく龍や獅子も描かれているんじゃないかと思う。
これは入江経一さんが毎日描いている祇園祭の絵である。国際的で文化的な価値があるものと思い、絵は保存させていただいている。そのうちまた「いちりん楽座」で数々の絵を示しながら、お話をしていただきたいと思っている。
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実は入江さんは私の病の大先輩にあたる。それでまあ時々電話しては、〝同病相憐れむ〟で病状のことなどを語り合っているわけだ。もしもこの病を得なかったら、そんな気楽にやりとりができる方ではないだろう。
祇園祭はたまにテレビでチラッと見るだけで、とてもあんなに人の多い祭に行く元気はなかった。でもこうして入江さんが祭の始まりから、いろいろな動き、仕組み、山鉾の構造など、美しく描いておられるので日々、学びになっている。
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ちなみに祇園祭りの祇園というのは、インドのブッダに由来する。
祇園精舎(Jetavana-vihāra)、正式名は、祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ、jetavane ’nāthapiṇḍadasya-ārāme)。
釈迦が説法を行った場所である。ブッダの帰依者であったスダッタ(須達長者:アナータピンディカ)によって、釈迦に寄贈された。
梵語名は、「ジェータ太子の森(林)」 (祇陀林, Jetavana) と「身寄りのない者に施しをする」 Anāthapiṇḍada) を連ねた名前である。
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スダッタは、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者」あるいは「給孤独長者」 (アナータピンディカ Anāthapiṇḍada) と呼ばれていた。ḍaは、おそらくダンで、ダーナのこと。布施をすること、そこから檀那という漢訳(音訳)になった。余談だが、日本では給料を持ってくる旦那さんにもなってくる。
ある日、スダッタは、ブッダの説法を聞いて感銘し、寺院(精舎)を寄進しようとした。
寄進しようとする土地が、ジェータ(jetṛ、祇陀)太子の所有する園林(vana) であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、太子は「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」という。スダッタは本当に金貨を敷き詰めたという。
そのため、ジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して「祇樹給孤独園」と呼ばれ、そこに建てられた精舎を「ジェータ太子の森(漢訳で「祇陀樹」、略して「祇樹」)、身寄りのない者に施しをする長者(漢訳で「給孤独長者」、略して「給孤独」)の園林(園)にある精舎」と呼び、漢訳では「祇樹給孤独園精舎」、略して「祇園精舎」と称するようになった。
なお、祇園祭のもとになった、「牛頭天王」(ごずてんのう)については、また別の機会に投稿する。こちらもインド由来である。