過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(51)鬼籍に入られた人 島影社長

スマナサーラものがたり(51)鬼籍に入られた人 島影社長

私の本をたくさん出してくれたのは、株式会社サンガ(宮城県仙台市)島影透社長でした。
もともとは、東北でも有名なアイスクリームを製造していました。在家の仏教研究者であった父お父さんの本をを刊行するために設立したんですね。

私に出会い、2021年頃から、意欲的にテーラワーダの本を出すようになりました。
2010年に仏教の季刊総合誌「Samgha Japan(サンガジャパン)」を創刊。
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島影さんも私の性格分析では社長ですね。だから島影さんを見た瞬間に、私は鈴木一生さんに似ていると思いました。

私は社長のようなことはやりたくないわけです。だから一生さんという社長がいなくなれば、次の社長が現れたらいいのにと思っていました。

社長たちというのは、こちらで守ってあげなくちゃいけない性格なんです。どこかでブレーキが効かなくなるんです。暴走するところがあるんですね。
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それに対して誰かがちょっと管理する、個人として叱る人がいないといけないんです。世間では、そこは奥さんの仕事ですね。そういう奥さんが鈴木さんにも、島影さんにもいなかったんですね。奥さんは、家のことでずいぶん苦労していたんです。

けれども女性というのはすごい力を持ってますからね。ものごとをしっかりと管理する力があるんです。

ところが、島影さんは自分のお母さんに頼っていたんですね。あのお母さんは可愛いお母さんでしたね。島影さんは、惜しいことに自分を管理することは苦手でした。そこはうまくいかなかったんですよ。

会社は仙台にあるし、私にはあんまり会えなかったです。私のところに来ても、「こういう企画があります。これをやりましょう」という話しかないんですね。
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島影さんは、誰でも仕事を任せてしまうことのできる人格者だと思いますよ。だから勝手にやっても大丈夫だという安心感はあったんですね。

勝手に何でもやるんですが、だいたい90%うまくいくんです。仏教のために作った会社だから、私としては会社がうまく進むように見まもっていました。

まあ、結果として私の「怒らないこと」など、ベストセラーも出したりして上昇することもありましたが、惜しいかな、2020年7月に会議中に亡くなり、その後に、破産翌年、元従業員を中心にサンガ新社が設立されました。

島影さんの会社は仙台だから、距離の問題もありました。
毎週でも私に会うことになっていたら、私はかなりしつこく言いますから、仕方がなくしっかりしなくちゃいけなく。ちゃんとやっていれば、マンモス会社になったかもしれません。
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社長たちの問題は、自分はいろいろ企画するけれども、周りはあんまり動いてくれない。
「この企画だ、やるぞ」と言ったら「その資金はどうやって稼ぎますか」という人がいなければならない。一旦中止して、会社が存続するためにある程度利益のあるものをまずやって、それから仕事は大胆なことをやりなさいよ、と彼には最初に言いました。

仏教の本というのは、なかなか儲からない。気をつけてください。ちゃんと利益の出るものを出してください。それで余裕ができたら仏教の本もやってくださいと。そんな感じでやればうまくいくはずでしたけれどもね。やっぱり社長というものは暴走してしまうんですね。
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私としては、本を出したいという思いはとくになくて、出したいのはいつでも島影さんでした。島影さんはとにかく仏教の知識を、なんとか残したいという思いがありました。

私は言ったんです。「これは売れません、赤字になりますよ。それでも出すならば赤字覚悟で出してください」と。「それでも出したい」ということで、島影さんは決断したんですね。

島影さんのその点ではすごい人格者というふうに褒めてるいるところなんです。

スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成しています。