過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(52)鬼籍に入られた人 奈良康明先生

スマナサーラものがたり(52)鬼籍に入られた人 奈良康明先生

私はスリランカの国費留学生として日本の大学に派遣されました。そして、文部省から「あなたはこの大学のこの先生のもとで勉強してください」ということで駒澤大学に行ったのです。

奈良康明先生は、駒澤大学の博士課程の指導教官でした。そして、駒澤大学の学長になられた。大学に行くと、学長室に呼んでくださって後々まで面倒を見てくださった。
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私が大学をやめたからといっても、それでおしまいではなくて、ずっと心配をしてくださる。やっぱり師匠は弟子のことを徹底的に面倒を見るという気持ちはあるんですね。

そもそも先生は、インドのカルカッタ(現コルコタ)大学に留学して、文化を研究していた人ですね。先生というものは、学問的な知識の伝授だけではないんです。いろいろ生活面も含めて心配してくれました。個人的なトラブルが起きても奈良先生のところに行って相談を受けました。意見交換はするんですけれども、ぶつからないような表現をしてくれました。

奈良先生は「私はこういうことを考えていますが、あなたはどういうふうに思いますか」と聞くんです。そうすると私の持論を自由に言えるでしょう。
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スマナサーラさんの説く釈尊の教えがわかりやすいのは、教理を教理として説かずに普通の言葉で説くからである。教理を確実に理解しているからそれができる。説得力があるのは釈尊の教えを自分の生活を通して語っているからである。スマナサーラさんの卓越した論理的思考能力がそれを支えている。」
とムックで私のことを紹介してくださった(『ブッダの贈り物』スマナサーラ長老と初期仏教の世界 学研発刊 2012年)。
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奈良康明先生の法事に出たことがありますが、禅宗というのは厳密な儀式があるのには驚きました。

曹洞宗は、「威儀即仏法作法是宗旨」というほどですから、儀式と作法についてはかなりこだわりがあるんですね。

歩き方は何歩あるく、どちらに回るのか、どのくらいの角度で線香をあげるのか。衣を着る時は、こうしてああしてと、細かい所作を決めています。きめ細かくテキストに書いてないと難しい。そして、それをとてもありがたく大切にしているんですね。
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私にしてみると、そんなことはどうでもいいのではないか。伝統やらしきたり、儀式にこだわりすぎるは、禅的な哲学があるとは思えない。

世の中はたえず変化しているのに、どうして変わらないんですか。現代の時代に合うように真理を語ったらどうですかと。先生とそんな話をしたことがありました。

スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成しています。