その語学力には舌を巻く。難しい仏教用語はもとより、大阪弁も取り混ぜたり、コンビニの前にたむろしている少年たちの喋り方も取り入れたりする。
スリランカ出身なので母国語はシンハラ語。当然、パーリ語は読める。その流れでサンスクリット語もできる。英語は日本語よりも堪能かも。さらには、ドイツ語フランス語も、そこそこできる。
「どうしてそんなに日本語が達者なんですか」と聞いてみたが、「相手の言葉の背景にあるエネルギーを読む。あとは、その上に言葉を乗っけていくだけ」と。
▽
スリランカにいたときには、日本語を学んだことはなかった。日本に国費留学生としてきたとき、半年間、大阪外大で学んだだけという。半年で日本語をマスターしたわけだ。
わたしが初めて出会ったのが、35年くらい前。その当時から、日本語は堪能であった。
わたしが主催するアートエナジーというワークショップに、ヴィパッサナーの指導に来てくれた。冬の寒い日に、一緒に歩いていると「池谷さん、どうして日陰を歩くんですか。日向を歩いてください。私は、南国出身でしかも老人なんですよ」と叱られたりした。
▽
また、いろいろと本作りのために質問するのだが、「あなたの固定概念に沿ってどう答えたらいいかと考えている」とも言われる。
また、あらかじめつくった原稿を読み合わせたりするとき「池谷さんの文章はよくできています。でも、これでは背広を着た人がスカートを履いているようなものです。背広は背広でちゃんとしています、スカートはスカートでちゃんとしていますけど」と。
「じゃあ、この文章はやめておきますか」と言うと「まあ、そこはなんとかしてみましょう。背広はズボンに、スカートはブラウスに」と、文を読んでは文脈を揃えてくれる。「ここは〝斟酌〟という言葉を入れましょう」と。その語彙力がすごい。
まあそんなことで、いま長老の本作りは3冊かかえている。きょうはZOOMで追加取材ということになる。どんな質問に対しても、深遠な仏教の論理で答えてくれるので、ありがたい学びの機会ではある。ちょっとおっかないところはあるけどね。