富永仲基(一七一五~四六)という天才がいた。彼が著述した『出定後語』二巻(一七四五)を読み、たいへんに感心している。
大阪で代々醤油の醸造を業とする商家に生まれた。三十二歳の若さで亡くなっている。
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明治以降の近代仏教学において常識となった「大乗非仏説論」を、すでに江戸時代において提唱していた。佛教を批評的に研究した日本で最初の著述といえるかもしれない。
仏教のさまざまな思想が、実は釈尊がそのまま説いたままのものではなく、長い歴史の間に発達、付加したものであることを論じた。方法論として、すべての思想は、それ以前の思想を何らかの点で乗り越えようとして成立したという「加上の理論」で批判していく。
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感心するのは、自ら論理的研究法の基礎を形作つて、それによって仏教批判していくところ。
ここでは全部を紹介できないので、少しずつ紹介していきたい。
『出定後語』の出だしがおもしろい。以下、池谷がざっくりの超訳。
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私は、幼い頃から暇だった。そこで、儒教の書籍を読んだ。わずかに成長したが、また暇だった。そこで、仏教の書籍を読んだ。そして、一段落した。
(両者を読んで思うところを)述べてみると、儒教も仏教の教えも、つまりは、善を構築することがその目的だと分かった。
私は、この(加上の)説を思い至ってから、10年ばかりを経たが、他人に話しても、人は分かってくれなかった。
我が身は病気になってしまった。人に(教えなどを)及ぼして、良き影響を与えることは、もはやできない。すでにしてに30歳となった。人に自らの得た教えを伝えないことがあってはならない。
願うことは、この『出定後語』が、人が多くいる大都会に於いて影響し、これが更に、朝鮮や中国に伝わり、朝鮮や中国から更に中央アジアにまで伝わり、これを釈迦牟尼仏が生誕されたインドの地に伝え、全ての人がその教えによって光明を得ることがあれば、私が死んでも教えが朽ちることはない。
後世の優れた研究者が手分けして、『出定後語』の過ちなどを補うことを待つのみである。