過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日蓮門下の寺を訪ねた

寺院・建物は残っている。だが、そこに人がいない。語るべき人がいない。いわば伽藍堂。心のある人、深い境地の人がいてこそ寺は意味がある。
東京の青山〜千葉の大多喜〜熱海〜富士〜磐田の旅。クルマで大移動。熱海での打ち合わせの後、日蓮門下の寺を訪ねた。
妙厳寺。千葉県夷隅郡大多喜町
30歳のときに訪ねて、ここで唱題(湯川上人の唱題法 座禅〜唱題〜座禅)。そのときスカッーっとひろがった世界があった。創価の憑依から超越突破した瞬間であった。身体的実感は強いな。
そこから、あらゆる宗派はそれぞれの味わいがあり、縁に従ってすすめばよいとわかった。
以来、野坂上人とは深いお付き合い。お訪ねしたが、あいにく住職は不在。本堂で太鼓を叩いて唱題した。
②玉澤妙法華寺静岡県三島市玉沢。日蓮宗本山。
日蓮の弟子の最長老、日昭の門流。十界曼荼羅が掲げられ、境内にも曼荼羅の碑が建立されていた。18世紀の再建だが、建築の屈強さと風格に感銘。
明治期の本末関係の解体(本山と末寺の関係の断絶)により、檀家のない本山はどこも経済的に厳しい。寺という建築物の維持はかなり費用がかかる。
③重須の北山本門寺日蓮の弟子の日興は、晩年36年間をここ重須談所で過ごした。いまは日蓮宗山号富士山本門寺日蓮が臨終の日(1282年 弘安5年)に、日興に授与したとされる二箇相承(にかそうじょう)に関わる寺である。
すなわち、「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」(身延相承書)
この文書にいう「富士山に本門寺の戒壇を建立」とは、文字通りに考えればこの北山本門寺てあろう。しかし、これは後世の偽書であり、自分たちの門流に有利なように日蓮に仮託されて書かれていると推察。
まあ、日蓮の重要法門はそんなものばかりだ(御義口伝、百六箇抄、本因妙抄、諸法実相抄、生死一大事血脈章、日女御前ご返事など数多ある)。いわば「権威主義」ということだなぁ。そのあたり、「自分たちこそ正しい」と思いたい人間の心理に興味がゆく。
④富士大石寺富士宮市。こちらは、日蓮正宗である。
この戒壇の本尊(畳一枚くらいの彫刻本尊、通称〝板曼荼羅〟)こそが究極であるとして、創価学会折伏大行進した。そして、いまや1,200万余の世帯となった。やがて、日蓮正宗創価学会との争いが起きて、創価学会は破門。いまや、かつての勢いはない。
お互いに「仏敵だ」「地獄に落ちる」と罵りあうという悲喜劇を演じている。それもまた、人間のありようと。
創価学会との蜜月のあった頃は、毎日、何万人、何十万人と参拝者があった寺。だが、いまや広大に境内を歩いても、参拝者は5名くらいだった。人の犬も猫も昆虫もいない。まったく無機質の広大な境内ばかり。諸行は無常、まざまざと。
西山本門寺富士宮市西山。富士大石寺から別れた寺。
日蓮の孫弟子日目の後継争いで分派。黒門からのアプローチが味わい深い。黒門から本堂直線で2km。梵鐘堂がすばらしい。織田信長首塚があった。しかし、だれもおらず。味わい的にはこの西山門本寺がすばらしい。
ともあれ、日蓮は「勝劣」の意識が強いので、その弟子たちも勝劣にとらわれて分派していく。まあそこが、エネルギーともなるわけで、それはそれで味わい深いこと。