過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

瞑想とは思考がフェードアウトしていくこと

瞑想とは思考がフェードアウトしていくこと。漢字だと、瞑(めをつむる)よりも冥(消えていく)ほうがいいかもしれない。

思考そのものは、絶えず忙しく動き回る。エネルギーを浪費している。
なので、思考を静かにさせる。ほんとうの自分の立ち戻る。
それが、瞑想。
  ▽
瞑想にはいろいろな方法がある。
大きく二つでいうと、集中瞑想(止:サマタ)と観察の瞑想(観:ヴィパッサナー)。
 ▽
サマタ(サマーディ)瞑想。集中瞑想。エネルギーがアップする。感性も冴え渡る。動じなくなる。強くなる。攻撃力も防御力も上がる。
それには、集中すること。ひとつにしぼっていく。光や炎をみたり、曼荼羅マントラを唱えるなど。

マントラ真言)は、いわば真理に至るツール、道具、乗り物。
それは、「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」も「南無大師遍照金剛」でも何でもいい。

唱える人が、このマントラがすごい、すばらしい、絶対と信じたり思い込んで徹すると、効果は間違いなくある。背景に切迫感があると、さらに効果化が大きい。

免疫力が上がる。高揚感、自己肯定感、達成感が生ずる。
しかし、自分が「そこにいない」場合がある。
  ▽
それとはちがう瞑想が、ヴィパッサナー(観察:よく自分自身を観る)瞑想。
瞬間瞬間に現実に生きる。自分を観察する。
そのためには、たとえば吐く息、吸う生きに集中する。
息を吸うことによって伴う体の膨らみ、息を吐くことに伴う体の縮みむ。膨らみと縮みに意識を向けるのもいい。

そして、サマタもヴィパッサナーも両輪。
サマタに徹していけば、ヴィパッサナーにも入っていく。
ヴィパッサナーに徹すれば、サマタにも入っていく。
  ▽
そして、またひとつ違った視点。
カルマ・ヨーガ。現実に生きるあの方。人一つひとつに、価値判断を置かない。良い悪い、高い低いの判断をしない。

現実に向き合う。いま出会っている出来事に直面する。そこにちゃんと向き合って生きる。
出会った縁を大切に生きる。人と交流。正直に気持ちを伝える。ちゃんと現実にむきあう。コミュニケーション。

生きているというのは、過去の無限の過去からのカルマの集積だし。
一つひとつ過去からのカルマが滅尽していく、といえるかもしれない。

正直になるということ。正直であれば怖いことはない。心底、明るくなる。濁りがない。飾る必要も威張る必要も、マウンティングをとる必要もない。
  ▽
さらに、感謝の瞑想。なにごともありがたいとして生きていく。
こうして生きていることはありがたい。すべてに感謝して生きていられるのは幸せ。

究極は、あるがまま。なにがあってもオッケー。もうおまかせの人生。