過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

食べる瞑想 タン師はフランのプラムビレッジで、13年間、ティク・ナット・ハン師に仕えた方

昨日のベトナムと日本の交流会。ベトナム寺院の天恩寺で開催。
これは食べる瞑想についての説明です。


説明しているタン師はフランのプラムビレッジで、13年間、ティク・ナット・ハン師に仕えた方です。


つねに微笑みを絶やさずピースフルです。


今月末、ベトナム〜フランスに帰ってしまうので、9月9日、リトリート(集中瞑想会)を企画します。きょう、会場をきめて案内を発信します。
 ▽
以下、タン師のお話を池谷がまとめました。


これから食事の瞑想を行います。どんなときにでも、自分の心に気づいているという瞑想です。
好きなものをお皿に入れて、先生の後についてみんなが集まってから食べるようにしてください。15分くらい、沈黙して料理をいただきます。


「食べる瞑想」というのは、いま自分が食べていることに気づく瞑想です。
観察する力を使って、いま自分はなにをたべているのか、どのように食べているのかに気づいていきます。


その実践はかんたんです。みんなで一緒にやると、もっとやりやすくなります。食べることに集中すると、もう一歩味わいが深くなります。30回くらいちゃんと噛んでからいただきます。手にとっていただく。噛む。食べ物がお腹の中に入る。そのことに気づいていきます。


気づきの心を持って、この料理ができたためには、雨や大地、太陽の光、つくったひとの働きなど、すべてが集まっています。そのことを通して、宇宙全体が私を支えてくれていることに気づくのです。また、いろいろな人が来ています。そういう人にも気づきながら、いただきます。それが禅の心です。


とてもかんたんです。緊張しなくてもいいです。ただ観察能力を使って、おいしく食べることができるんですね。


これから鐘を三回打ちますので、それを聞いたら食事にはいります。
食べる瞑想以外にも、鐘を聞く瞑想もあります。


喋っていたのなら、それを止めて鐘の音に集中します。そして、自分の呼吸に意識を向けて、それに気づいていきます。


鐘の響きを聞いたら、「いま自分は考えている」ということに気づきます(なにを考えているのかという内容ではなくて、ただ考えているということに気づく)。「いまなにをやっているのか」に気づきます。それが、禅の実践です。


いまこの瞬間に自分は生きているのだ。そのことがいちばん大切な幸せですね。


未来のこと、心配ごと、後悔とかいろいろ頭の中にあっても、いまこの瞬間に生きているということを、私たちは忘れているんですね。なので、鐘の響きで、いまここに生きているということを感じてください。


お寺に来るということは、そのことをリマインド(忘れない、いつも気づいている)するためでもあるのす。お坊さんとして、そのことをみなさまに教えるのは自分の責任です。そして自分に対しても、そのことをきちんと覚えさせるためです。


自分を観察する、息とか体の状態とか気づいていきます。努力しなくてもいいです。
息というのは、「自分の心」と書きますね。念というのは、「今の心と」書きます。
今の自分の心の状態、自分が呼吸していること。そのことに気づくことによって、いまこの瞬間に生きていることに気がついていく。それが仏道なんですね。


だから、なにをやっていても仏道の実践になります。それがマインドフルネスということです。

動画https://www.facebook.com/ichirin123/posts/pfbid0FphRn6UAG6Y3Y5inQSQaWmUxFArWhv4Y5XoQRr3Y2wutfiQwdrUAH3WSczE8W2H9l