過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ベトナムのお寺でリトリート(平穏な心に気づく瞑想の集い)

康ちゃんが、ベトナムのお寺でリトリート(平穏な心に気づく瞑想の集い)を受けている。
そのときの住職(法話:ニャチャン金山寺住職)のお話を、適当に池谷が超訳
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ブッダの教えの基本は、息に集中していくことです。
座る時、歩く時、食べる時。呼吸をよく観察して下さい。執着の対象が存在しない(瞬間瞬間変化していく、無常である)ことを、はっきりと観ることになります。(2枚目は寝る瞑想)
勉強も役に立ちますが、遊びからも気づきがあります。でも、執着していけません。そのための3日間のリトリートです。
その人の歩く姿を見れば、苦しみを抱え込んで生きているのか、苦しみから自由なのかどんな人かすぐに分かりますよ。
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子どもたちに対して。
家でも、リトリートで歌やお話しを楽しんだと同じように、料理や家の仕事を手伝うこともまた楽しめるはずです。
帰ったら「お母さん大好き」と言ってあげてください。「ご飯を作ってくれてありがとう」と伝えてください。」愛情が伝わることが、誰もとっても幸せなことなんですね。
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ティク・ナット・ハン師(3枚目の写真)は、私の先生です。人類社会にピースフルで大きな影響を与えたすばらしい先生でした。存命中、高齢で体調が良くない先生をお見舞いした時、先生と私の手を重ねたことを覚えています。
先生の有名な言葉があります。
「私は続きです」。
私も、先生の続きです。
今でも、心の中で生きておられるので、普通のように先生のことを忌み名で呼ぶことはしません。子どもたちも、先生に続いてほしいのです。
ベトナム戦争の時代に、火に包まれて身体の執着を手放した先師たち(ガソリンをかぶって炎につつまれても、端座合掌して亡くなった僧侶)は、歴史の中で大事な事を教え続けます。
執着を手放すこと。それがすべてです。すべてが平和になります。
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体と言葉と心の三つ(身口意の三業)を、いつでも観察することを忘れないでください。
出来れば毎週、日曜日にお寺に通って、良い習慣を習うようにしましょう。心が健やかで美しければ、言葉も体も同じように健康で美しいものになります。
今回は、ファプタン師(フランスのプラムビレッジ在籍の僧侶は、愛称としてPháp、ファプを付けて呼ばれる)を慕って、日本人の友人も参加してくれました。(なぜか、ドラえもんの歌を披露)
彼はベトナム語がほとんど分かりません。でも、心は確実に伝わります。Happiness は通じるんです。
実践で平和を実現することが言葉よりも大切だと、ブッダは教えているんです。