過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いまここで出会っているもの。出会っている事柄、やってきた課題。そしてここに面と向かって出会っている人。それがいまここで、学ぶべきことなんだ。

あかりには、いまやっていることに集中すればいい。いやなことは、しなくてもいい。躍動すること、楽しいことに集中すればいいと言っている。学歴なんてどうでもいいからね。
つべこべ言わずに、余計なことを考えずに、とにかくいま集中してやったほうがいいんだ。
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東大を目指して、五浪か六浪した親友がいた。結局、合格できずなかった。それから、司法試験を目指していたけど、そんなにかんたんに受かるものじゃあない。で、それからどうなったかなあ。音信不通になっている。
かれが受験生の時、アパートを訪ねた。書棚には参考書がものすごくたくさんあってびっくりした。
英語は、「新々英文解釈研究」がいい。伝説の参考書「山貞」だ。今ある「英文解釈」の参考書のルーツはすべて、この本の中にある。原仙作の「英文標準問題精講」はここがいいけど、ここがだめとか、すごく詳しい。
ちなみに、ぼくは「英文標準問題精講」一本。いつも読んでいたっけ。まだその英文、いくつかおぼえている。サマセットモーム、ロバートリンド、ハックスリー、バートランド・ラッセルとか。
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まあ、そんなわけで友人は、参考書の評論家のように詳しいのであった。
東大に合格した友人もいた。かれに聞くと、塾とか予備校に行ったことなんかない。参考書もほとんどやらなかった。教科書だけで十分。数学は、パズルみたいなもので、他の勉強やって息抜きに数学を解いた、といっていた。
かれは、東大法学部、そして通産省に入った。それから、えらくなったのか、どこかに天下りしたのか、こちらも音信不通。
ともあれ、「教科書」はよくできているのだ。教科書をしっかりやればそれで十分ということは言えそう。それを参考書がどうのと、あれこれ選択に迷っているうちに、迷路にはまり込む。
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なんでもそうだが、縁のあったものを深掘りしていく。あれがいいとかこれがいいいとかあるけれど、とにかくいまここにあるものを深掘りする。それが、学習法としてはもっとも近道なような気がする。
まあしかし、そんなに受験勉強をして人生の役に立つのか。いい大学に行って人生は良かったのか、それは別問題だけど。
受験というゲームに限っていうと、ひとつのもの、とくに教科書に徹するのがいいようだ。
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まあ、人生も、いまここで出会っているもの。出会っている事柄、やってきた課題。そしてここに面と向かって出会っている人。それがいまここで、学ぶべきことなんだ。
そんなことは、小学生のうちに身に着けておけばいいんだけど、これがわからなかった私。
あれがよかった、ああすればいいといっていても意味がない。いまここでしっかりと出会う、深める、極めるってのが王道なんだなあと感じる。