過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

霊的な力のあるという紙田さんを訪ねた

霊的な力のあるという紙田さんを訪ねた。友人は、半年前に亡くなった父親の供養をしてもらうため。ぼくは、好奇心だけでついていった。(これは20年くらい前の話)
お会いしたときは、紙田さんは84歳。尼崎市にある木造アパート暮らし。廊下を歩くと、ギシギシいう。暮らしは四畳半一間。。
「こんにちは。失礼します」
ガラガラと戸を開けるとステテコはいてテレビを見ていた。「いやあっ! よく来たね」と、なんとも屈託のない滞りのない笑顔。その顔を見て、なんだかとても安心した。
深い霊的な次元から供養をしてくれる。お金は一切とらない。
「お金をとると、霊を供養する力が落ちてしまう。自分は軍人恩給で暮らしていけるので、お金をもらおうとは、思わん」。
先生というと、「先生などと呼んでくれるな。それぞれが先輩・後輩なんであって、先生じゃないんだ」と。それで、〈おじちゃん〉と呼ばせてもらう。
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ぼくはその方の修行体験に興味がある。以下は、雑談をまとめた。
戦争でフィリピンに行った。100人くらいの部下がいた。しかし、生きて帰れたのは、一割ほどだった。終戦になって、戦死した部下たちが、「ずっと迷い続けていて苦しい、どうか助けてほしい」と霊となってあらわれるようになった。
靖国神社に詣でても、祀られている霊は成仏していないことがわかった。かれらは現世に執着していて、次の霊界に行けていない。靖国に祀られてもも英霊(つまりは神さま)になっていない。そう、強く感じた。
真言宗のお寺に生まれたが、こうした不成仏霊は、たくさんいることを実感した。どうもそういった不成仏霊は、仏教では救えないんじゃないか。仏教よりも古来の神道の行法がよいのではないかと思いたち、ひとり秩父の三峰の山中の修行に入る。
はじめは40日間の断食行、それから無言の行、そして滝行と続けた。無言の行は、一言でも発したらまたゼロからやり直し。数か月かかった。滝行をしていると、滝のなかにいるのに、自分は空を悠々と飛んでいる。そして、空から滝に打たれている男を見てみると、それは自分だった。幽体離脱を体験したのだ。
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先祖供養することはとても大切なことだけれども、やはり供養というものは、子孫が供養しなくてはいけない。
必ず先祖のなかには、不幸な死に方をしたものがいるわけだから、その影響は受ける。(まあ、ものすごい数の先祖がいるわけだから、相当な数ということになる。)
ある人が死後に迷って成仏できないで苦しんでいるとして、その苦しみというものに子孫は共振しやすいのだ。
自分が明るく健康的な生き方をしていたら、それは共振することはない。けれども、不規則な生活をしていたり、他人の悪態をつき、イジイジした生き方をしていると、そういう先祖の苦しみを受けやすい。苦しみの周波数に、共振しやすい。
だから、低級霊とか不成仏霊というものを、いくら追い払ったとしても、自分自身の生き方を変えないかぎり、いたちごっこになる。
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では、どうしたらいいのか。
自分がこうして生きているのは、「生かされている」ということを自覚することだ。親があって、その親があってと、たくさんの先祖によって自分はこうして、いまいるのだ。まず、それをしっかりと自覚すること。
先祖に感謝する、守護霊に感謝する、そのことで生き方は改善されてくる。毎朝、先祖と守護霊に対して、お礼を申し上げる。そのためにとくに仏壇も神棚もいらない。太陽に向かって拝んでもいい。
次に大切なことは、生きているということは、仕事をしていることだ。仕事とは生きているそのものである。
だから、与えられた仕事に対して、いやいややっていたり、不平や不満や愚痴をこぼしていたり、被害者意識でやっていたら、人生はいい方向になっていかない。守護霊がなんとか助けようと思っていても、そういう人は助けにくい。
仕事というのは、どんな仕事であれ、必ず世のため、人のために役に立っている。そのことをよく自覚して、仕事に打ち込むのだ。感謝して仕事をやれば、仕事の効率はぐんぐんとあがるし、自分の生き方もよくなる。
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そのようにお話を伺った。そのあと、先祖の供養をしていただいた。紙田さんは、きりっとした神式の衣装にとりかえ、格調高いお姿となっていた。そして、隣の部屋の祭壇の前でお祓いをしてくださった。
その屈託のなさ、無欲さ、あっけらかんとした明るさが、なんとも心地よかった。