過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

人と神霊(諸天善神)との関係 

───あちこち戦争が続くし、どんどん円安になるし、経済は大停滞。あるとき、銀行預金はすべてパーになったりしないんだろうか。どうたらいいんだろうか。現金をもっていたほうがいいんだろうか。金は上昇しているけれど、金がいいのかなあ?

「どうも、ほんとうにわからないね。」

───ウクライナの戦争は続いているし、またイスラエルハマスの戦争もある。背景には、戦争が起きると経済が活性化するという構造もある。どうなるんだろうね、この世界は。」

「いろいろ考えているんだけど、どうも結論は、人と人を分断させて憎悪させて殺しあいをさせてもそのエネルギーを養分にしている神霊みたいな存在があるんじゃないかと、そう思えてきたよ。」

───うん、たしかに。怒りが起きると、あるエネルギー感が湧いてくる。怒りが怒りを呼ぶ。それって、ある種の霊的なものが憑依するのかもしれない。その霊的なものは、怒りとか憎しみとかをエネルギーにして、もっともっとと欲しがる。そんなことかもしれないね。

「そう。怒りを養分とする存在がある」

───ぼくが思うには、悪というのは「デバイド divide」が大きな要素。人と人を分断させて憎しみを呼ぶ。格差を生じさせて、連帯を砕こうとする。divide=Devil(悪魔)で、原義はおんなじかも、とおもったりする。

  ▽

「こういうスピ系とか陰謀論の話になると、みんな引くけど池谷さんはちがうみたいだね」

───陰謀論とか、心霊的なものはたいへんに興味がある。それと、ぼくの場合、仏教の構造とつなげて考察していくのが面白いので。

「ええ?たとえば、どんなこと?」

───人と神霊(諸天善神)との関係が説かれるのが、鎮護国家の経典(『仁王護国般若波羅蜜経』『金光明最勝王経』『薬師経』『金光明経』)だね。

それによると、世が乱れるときには、まず鬼神(低級霊)が乱れる、鬼神が乱れるので万民が乱れる。それで、人々を守護する働きの善神(高い神霊)がこの世界を離れてしまい、ますます鬼神が乱れる。そうして、物価高、戦争、疫病が起こる。

そんなことが、鎮護国家の経典に述べられている。それで、聖武天皇などは、東大寺を作って大仏(毘盧舎那仏)をホストコンピュータとして、全国に国分寺という端末を置いた。それぞれの国分寺には、この鎮護国家の経典を安置して坊さんに祈らせた。

まあ、低級霊を封印して、高級神霊にきていただいたら、国が守られる。平和になる。飢饉も疫病も戦争も起きないというわけだ。

  ▽

「へぇ、そんなことが述べられているんだね」

───でもって、正しい教えを信仰すれば、諸天善神が帰ってきて国が安らかになるというわけだ。

鎌倉時代日蓮は、その正しい教えこそが『法華経』で、そのエッセンスが南無妙法蓮華経。それ以外は邪教で、粉砕しなければならないと説いた。こうなると、また人々に分断が起きて、正邪論争が起きて、またしても悪鬼が支配する世となるともいえる。

「なるほど。そういう見方で仏教をとらえたことはなかった」

───昔の仏教の基本書は『倶舎論』とか『大智度論』で、いわばエンサイクロペディア。人間と神々の構造が説かれているともいえる。(唯識はまた別の世界として)

「たとえば?」

『倶舎論』だと、この世界は「欲界」「色界」「無色界」という三界で成り立つ。「欲界」は欲のある世界で、人間世界と神々の世界。その一番高いところの神は「他化自在天=第六天の魔王」といって、人を支配し、意のままに操ることを喜びとする。人を支配し、意のままに操ることを喜びとする。それがまあ、人々を分断し憎悪させ怒りのエネルギーを糧とする本体と言えるかもしれない。

  ▽

「なるほど。その次の色界というのは?」

───色界というのは、欲はなくなったけれども存在している意識がある。欲とは無縁の神様の世界。仏教ではブラーフマンなどは、梵天としてあらわされる。

「うん。無色界というのは?」

───これは、とても説明が難しいけれども、存在、カタチはなくて意識そのものの世界。無限な意識の広がり。でも、意識している意識があるというか。「非想非非想処」みたいな漢訳がある。

まあ、くわしいことは置いといて、そうした世界も無常の世界で、神々といえども輪廻する、堕落していくというのがブッダの教えで、そうした三界の世界を超えてしまうのが解脱ということになる。ざっくりした話だけれど。

昨日の森林セラピーでの雑談から。さらには、死の世界、臨死体験についても語り合うことになった。そちらは別投稿。