過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「ヤルタ秘密協定」でソ連の日本への攻撃は予定されていた。そして原爆投下。

1945年8月9日、長崎に原爆が落とされた。そして、同日、ソ連が宣戦布告したのであった。

その半年前、1945年2月4日 – 1945年2月11日、連合軍の三巨頭、ルーズベルトチャーチルスターリンは、ヤルタ会談を行っていた。

「ヤルタ秘密協定」でソ連の日本への攻撃は予定されていた。

ルーズベルトの要望により、戦争の早期終結を図るため、ソ連は、ドイツの降伏から二カ月ないし三カ月後に、対日戦に参加することが、ひそかに取り決められたのだ。

そんなことを日本は知るはずもなく、最後の和平交渉をソ連を頼みの綱としてのこのこと出かけていったりしていた。もちろん断られた。

ソ連が日ソ不可侵条約を破って、日本(満州)に攻め込むことはアメリカは承知していた。というか、ルーズベルトスターリンに依頼した話である。

しかし、アメリカはソ連参戦前に決着をつけたかった。

ソ連の侵寇によって日本が敗北宣言となれば、手柄はソ連に持っていかれる。ソ連の力を抑えておかねばならない。そのため、そこで原爆投下を急いだ。

七月十六日に、アメリカは原爆の実験に成功していた。原爆の人体実験をしたかった。それで、二つのタイプの原爆(広島はウラン,長崎はプルトニウム)を落とした。

そして、あの恐ろしい日本の戦いぶり(特攻隊、バンザイと叫んで撃たれても撃たれても攻め込んでくる、捕虜にならず自決するなど)をみたら、本土決戦になれば、相当数のアメリカ人の〈いのち〉が失われる。戦費もかかる。

そこで、二度の原爆投下となった。アメリカは、人間による人間の虐殺を、大喜びした。