過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

満蒙開拓団

満州の土地は寒い。内陸性の寒さに加えてシベリアから季節風。マイナス20度くらいになることも。

そんな土地とは知らず、広大な土地が手に入ると聞かされ、希望に満ちて村を上げて移住していった。満蒙開拓団(20万人)だ。

しかしその土地は、日本が現地の人達から奪ったたもの。現地の恨みは深い。しかも、かれらはいわば民間の軍隊として、対ソの防波堤の役割も担った(満蒙青少年開拓義勇団10万人)。

敗戦の色濃い中、ヤルタ協定に基づいて、日ソ不可侵条約を破って、ソ連が攻めてくる。民間人を守るはずの関東軍はとっくに姿を消していた。

満州開拓団人たちは、集団自決、強姦、殺人。逃避行。幼児を背負っての逃避は耐えられない。断腸の思いで、かわいい我が子を中国人に預ける。ここで死ぬよりはましだろうと。それが、残留孤児。

そして、苦難の末に日本にたどり着く。しかし、土地はない。家はない。あらたに見つけた土地を耕していった。しかしその土地も奪われていく。