過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

“自分ってなんだろう”って思うようになった。

キックボクシングの送り迎え、運転しながらこんな話をした。

「あかりはね。死ぬことは怖いと思わなくなったんだけどね、ひとりで静かにしているとき“自分ってなんだろう”って思うようになった。」

──おお、そんなことを思うようになったか。すごいね。
“自分てなんだろう”ってむつかしいね。おとうちゃんもわからない。それは、永遠の課題だね。きっと答えは出ないよ。けれども、ずっと探求し続けていく。そこがおもしろいんだよ」

「ふうん、そうか」

──あとはね。自分というのは、生きているなかで出会う人によって、やることによってどんどん変わるってこともあるよ。

「たとえば、どんなこと?」

──いまあかりは、小学校2年生だよね。下の友だちと遊ぶときは、お姉さん。上の友だちと遊ぶときは、妹みたいになるよね。

「うん」

──そういうふうに、役割というのか、ポジションが変わる。
それで大きくなったら、仕事すると会社員。結婚すると、妻、奥さんという役割になる。

子どもが生まれたらお母さんになる。友だちに会ったら、友だちどうし。お父ちゃんといれば、子どもってことになる。そういうふうに、どんどんと役割が変わっていく。

まあ、難しく言うと「縁」というんだけど、出会ったこと、出会った人によって、自分というものは変わっていくんだよね。

また、そのあたりは探求していこう。