過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

縁が起きたら動くだけだから。準備、段取りなし。閃きと縁と流れだけ。

「おとうちゃん、足が痛いよう。さすって」
夜中にあかりが叫んで泣く。熱は39℃を超えている。
足を擦り続けた。

これは新型コロナ禍なあ。まあ、昨年の例でいうと、翌日にはケロッと治っている。
けれども、次には親たちがかかる。そうなると一ヶ月くらい、咳が止まらない、動けない。そんな予感はする。

まあ、わがやはワクチンは一切打たず。コロナは2回かかって、クリアーしている。免疫獲得と思って安心はしているんだが。
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で、朝を迎えた。

「すぎのこ教室いくか?」と聞くと、「いかない」という。学校に休みの連絡をする。

「じゃあ、おとうちゃんは、きょうは友人が京都から訪ねてくるので、これから出かけるよ」
そう言うと「あかりも行くー」。

「一緒にいても大人たちの話だから、つまんないよ。家にいて寝ていればいいのに」。
そう言っても聞かない。「行く」と言い張る。
じゃあ、仕方ない。一緒に行くか。「その代わり、グスグズ言うんじゃないよ」と念を押した。

車に毛布を積んで、長袖長ズボン(いつも一枚の半袖半ズボン、そして真冬でも裸足)にして出かけた。やはり裸足。「これは譲れない」と言う。
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友人とは、二俣の洋品店で待ち合わせ。
そこで立ち話をしていると、「あれ?ここにこんな自転車屋があった」。

そこのオーナーの青年に話しかける。
なんと、自転車屋の奥は餃子屋。二階は喫茶店
「何回もこのあたり来ているけど、知らなかった」

「はい。そういう感じの店なんすよ。宣伝したり注目されないようにしているんです。わっと人が来たらイヤじゃないですか。人知れず伝わっていくってのがいい」

自転車は自分で作っている。餃子もそうだ。
自転車といってもナミのものじゃないよ。それこそ100万円も200万円もするやつだ。

餃子もたいそう美味しかった。メニューのデザインもアールヌーボーだ。

「うわあ。こんな店があったんだ。こんなワザを持った人、こんなセンスのいい人がいたんだ」。

心意気がいい。平然として力が抜けていて、悠然としている。

あと5分後に開店というので、そこで食事。おいしかったよ。
あかりにも特別サービスしてくれた。
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まあ、人生というのは、予期しないで準備も期待もしないで、何気にふと出会うのがいいね。

調べ上げてそこを目指して、「いらっしゃい、いらっしゃい」というときに行列して行くのは苦手。ふとした縁で、すとんと出会うのがいいんだ。そうしたら、おたがいに軽快に話が進む。

そういうケースが多い。
ぼくはなんにも考えてないからね。縁が起きたら動くだけだから。準備、段取りなし。閃きと縁と流れだけ。

ふとしたきかけで出会って話が深まっていく、その人のライフスタイルが垣間見える。それが躍動することではある。

「おとうちゃんて、すぐに友だちになれるんだね」とあかり。

いわばまあ、そんな軽快なフットワークを、ナマの現場であかりに教えられるってことかなあ。

「その代わり、飽きるのは速いぞ、たちまち気が変わることもあるぞ」と言っている。
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あかりは39度の熱があったが、阿多古川、図書館、サイゼリヤと連れ回った。
帰宅したら、元気になっていたよ。

おとうちゃんはいつものように早起き、3時から仕事してたけど、あかりが「おとうちゃん、寝てーー」と叱られた。それで渋々、また布団に入って、あかりが寝入ったタイミングでまた起きだしたのだった。