過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

死ぬまで柔道着を着ていたい。棺桶に入るときも、きっと柔道着のまま、と古賀さん

「あかりちゃんと遊びたくて、一緒にピクニックしようと思ってきたよ」
はるきくんがお母さんに連れられてあそびにきてくれた。春からは年長さんだ。
目ヂカラ、体幹がとてもしっかりしている。すでに大物感がある。

あいにくあかりは、出かけていたので、一緒に遊べなかった。
それで、絵を描いたり、電気ストーブを分解したりを楽しんでた。おみやげは、電気ストーブの中から出てきた、ファンとコイル。自分でドライバーを使って外して取り出したのだから、とても喜んでいた。
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お母さんは、柔道4段。いつか自宅に柔道サロンを作りたいと言っていた。すばらしい。近かったらあかりを通わせたい。

それで、思い出した。ぼくは、柔道の金メダリスト3人の取材したことがあった。斉藤仁(ロサンゼルス・ソウル五輪で金)、古賀稔彦バルセロナ五輪で金)、鈴木桂治アテネオリー五輪で金)の三氏だ。

その話をしたら、学生時代に古賀さんに指導してもらったことがあるという。「指導してくださる古賀先生のほうが、わたしたちより稽古に熱心だった」という。いかにも古賀さんらしい。
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古賀さんは、惜しくも2年前に亡くなった。「死ぬまで柔道着を着ていたい。棺桶に入るときも、きっと柔道着のままでしょう「と言った言葉が思い出される。

むかし取材したときの原稿を探したら出てきた。15年も前のものだ。以下取材原稿(一部)。
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スポーツでよい結果を出すには、「心」「技」「体」の三位一体が必要だ。「心」とは精神力、「技」とは技術、「体」とは体力、身体能力。

「体」も「技」も、毎日、磨いていかなければ衰えてしまう。いくらよく切れる包丁でも、研がなければ錆びてしまう。
「心」も同じ。つねに鍛えておかないと、どんどんと後退していってしまう。
いくら気力が充実していても、何もしないでいたら、そのまま維持できるはずはない。精神力というものは、あきらめずに絶えず挑戦していくところに、磨かれていく。

ただ、いくら「挑戦」といっても、嫌なことや自分に向かないことに無理してがんばっても、それはストレスになるだけだ。

好きなこと、心からやりたいこと」だからこそ、挑戦していける。好きなことであれば、苦しいことがあっても、それは「あたりまえ」と受け止められる。かえって活力が湧いてくる。

心から打ち込める世界をもっていれば、そこにおのずと目標がでてくる。小さな目標であっても、それを一つひとつ達成していけば、さらに大きな目標が生まれる。また、いろいろな課題も出てきて、克服していかねばならない。

そうした日々の取りくみによって、精神力は磨かれていく。だから、ぜひ、好きなこと、心から打ち込めることをみつけてみてほしい。

「あの頃は、あんなことに打ち込んでいたなあ。あのときは、楽しかったなあ。もういちど、挑戦してみようか」
と、その頃の気持ちを思い起こして、一歩、踏み出してほしい。 
 
小学一年生から柔道を始めた。以来、ずーっと柔道一直線。すでに現役を引退したが、生涯にわたって、死ぬまで柔の道を歩み続けていきたい。

死ぬまで柔道着を着ていたい。棺桶に入るときも、きっと柔道着のままだろう。
自分の家に柔道場があったら、死ぬまで柔道が続けられる。──そんな思いから、わたしは「古賀塾」という町道場をつくった。
なにより、いまの子どもたちに、自分が教えられてきたものを、伝えたい。

柔道を通して、努力の大切さ、あきらめないこと、夢を持つすばらしさ、礼儀、先輩を敬うこと……、たくさんのことを教えてもらった。
柔道に打ち込んで、ほんとうの努力したからこそ、ほんとうの喜びがあり、ほんとうの悔しさがあった。そして、ほんとうの仲間ができた。
ともに苦労を分かちあうから、一生の友になる。友に支えられた人生は、強いです。豊かです。だから、この道場がほんとうの仲間をつくれる場であってほしい。

なにかに挑戦していくとき、人は孤独だ。孤独になると、挑戦することが怖くなる。もしも失敗したら、どう思われるかという余計な心配も生まれる。
挑戦するときには、安心して臨める心が必要だ。そんなとき、ほんとうの仲間がいると強い。挑戦していくときに不安がない。あきらめないし、へこたれない。
仕事でもほんとうの友がいれば、失敗したときカバーしてくれたり、励ましてくれたりして、余計な心配をしなくてもいい。また友がそんな状況になったら、こんどは「おれが力を貸してやろう」という気持ちになる。

だから、どうか自分の好きな、心から打ち込める世界を見つけてほしい。日々、挑戦していって、ほんとうの仲間をつくっていただきたい。