過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ついに50刷。 販売累計は14万8千部となった

ついに50刷。
販売累計は14万8千部となった。
初版は8千部だったが、少しずつ地道にコツコツと売れていった。
13年も前に作らせてもらった本だ。
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著者の大島祥明住職は、数千件にわたる葬儀体験のなかで、自らが実感した死後の「本人」のデータを克明に記録してきた。そのサンプルが2,500。
スピリチュアリズムとか宗教の世界というよりも、霊体験のフィールドワークというのか、霊の科学というのか。

大島さんの体験的実感としては、遺族が故人を偲ぶ心こそが供養になる。二千件以上の葬儀を実体験したお坊さんゆえに説得力がある。
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さて「死んだらおしまい」なのかどうか。
大島さんの体験では、死んでも「本人」は、いる、あるいは、ある。それを体験していった。
その「本人」から伝わってくる状態、伝わってくる思い、それを大島さんが実感したところを記録していった。その数が、2,500例。

ベストセラーなのだが、ほんど出版社は広告宣伝していない。どっと売れているわけではない。じわりじわりと、2,000部ずつほどに増刷していった。著者は実名は出しているものの、いっさいマスコミに出ようとはしない。不思議な本ではある。

出版社から続編を、と言われている。けれど、大島さんがその気にならない。このまま、見守っていく感じかな。
むしろ、外国語に翻訳して、英語圏やフランス語圏で展開したいと言っていた。もしかしても、そうなるのかもしれない。
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さて、死後の存在があるのか、どうか。来世も過去世もあるのか。ぼく自身は全くわからない。
死後があるにせよ、ないにせよ、ともあれ、この人生はまちがいなく今回限り。

今日という一日は、二度とこない。二度とやってこない瞬間瞬間だ。それをちゃんと生ききることに尽きると思っている。

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