過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「子どもは、親がしてくれなかったことを要求してくるんだよ」と。

子どもが近所にたくさんいたら、子ども同士で一日中遊べる。また、きょうだいがいればいつも一緒に遊べる。でも、山里では近くに子どもはほとんどいない。そして、あかりは一人っ子だ。
 
なので、歩けるのに、「抱っこしてー」「かたぐるまー」「おんぶー」。「あれしてー、これしてー」「木にのぼらせてー」。
 
自分であるきなさい、自分で取りなさい、自分でやりなさいと言うのだが、そう言うと怒ったりする。できないーと泣く。
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はいはい、わかったよと従うことが多い。きちんとしつけをする必要がある。わがままに育ってしまう。
だけど、多くの人が言う。「こういう時期はあっという間に過ぎてしまうよ。そのうち、もう遊んでくれなくなるから。お父ちゃん、あっち行ってて、お父ちゃんといたくないーといわれるようになるよ」と。
 
友人で、赤ちゃんが生まれて、すぐに母親が精神障害を起して、やむなく離婚。父親だけで育てあげたという人がいる。サラリーマンができなくなり、時間の自由が効く個人タクシーの運転手となった。その人が、ぼくにこう言っていた。
「子どもは、親がしてくれなかったことを要求してくるんだよ」と。
 
なるほどな。ぼくの父親がしてくれなかったことを、いまあかりにしてあげられる。そうみればいいか。ま、親がしてくれたことをしてあげていないということももたくさんあるけれど。
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ぼくの場合は、父親とあそんでもらった経験がない。父親は仕事していて、家では威張っていて、気難しくて怖い存在。一緒にいると、気づまりを起こす雰囲気。楽しく語らった経験がほとんどない。いや、あったのかもしれないけれど覚えていない。
 
もっと遊んでくれたら、遊びのサポートしてくれたら、この人生も違ったろうなと思う。野球とか運動とか、そちらの方面に可能性が開いたのかもしれない。姉が二人のなかで育ったぼくとしては、乱暴でパワフルな遊びをしてこなかった。ので、かなり内気な性格をしていたと思う。飛び込んでいくというチャレンジ精神の弱い幼少期であった。いまではずいぶんと性格は変わってきたと思うけれど。
 
まあ、そんなこともふくめて、子育ては親育ちであるという、あたりまえのことを、この年になって体験させてもらえる日々である。