過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ZOOM楽座 6/7 20時〜「自由法華道場」日蓮思想の中核:三大秘法とは

ZOOM楽座「自由法華道場」日蓮思想の中核:三大秘法とは

日時:6月7日(日)20時〜

参加方法:ZOOMにアクセス
https://note.com/raxza/n/n4747d67ee2b9
https://us02web.zoom.us/j/5409124232

参加ご自由、顔出しもご自由、聞くだけでもオッケー。
ただ、やりとりは音声のみレコードしています。書籍などに発行する際、発言を活用させていただくこともあります。
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ゲスト:犀角独歩(さいかく・どっぽ)。本名 岩立盛郷(いわたちせいごう)

一九五五年、熱烈な創価学会 員を両親に東京に生まれる。三十五歳のとき、創価学会を脱会し大石寺に移る。宗務院教学部・内事部『大日蓮』編集室嘱託。四十歳で棄教。脱会者支援を始め、日本脱カルト研究会入会、元会報編集長、元理事。 日蓮宗現代宗教研究所等で執筆。日蓮の実像を追及。いまは主に『宗教問題』に執筆。
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語り合いの趣旨:

日蓮の教えの中核は「三大秘法」ということになる。本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇である。(報恩抄、三大秘法抄、法華取要抄、義浄房御書など)

「三大秘法」を、概念的に整理してみたい。いわば、13世紀の教学。理屈と概念、神学論争的ではあるが。
それを基軸にして、現代的な意義を語り合いたい。信仰の身体実感、宗教教団の社会的身体性、深層心理など。
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宗教は、「優劣」「勝劣」「正邪」が強い。とくに日蓮主義にはその性質がある。
「こっちのほうが偉いんだ」「これしかない。こちらでなければダメ」という意識になる
しかし、「価値判断」の尺度は、どこにあるのだろうか。

なぜ「仏教」が優れているといえるのか。
なぜ「大乗仏教」が優れているといえるのか。
なぜ「法華経」が優れているといえるのか。
なぜ「法華経の本門」が優れているといえるのか。
なぜ「法華経の本門の文底」が優れているといえるのか。

自分という人格が磨かれていないのに、立脚する宗教がすごいからすごいんだと思いこだりする。自我が肥大化して、他を軽蔑するありようになりがちだ。

信じている宗教が価値がある偉大なものだとしても、その人が優れているといえるのだろうか。
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宗教というものの「権威性」もみてみたい。
ある権威に対して、もっとすごい権威をぶつけて、どうだと言ってみたくなる。
「権威」志向、「権威」主義というフィールドは、変わらない。

偉大である、有名である、価値があると、すでに思われているものを持ち出そうとする。すなわち、「権威」あるものをありがたがる。

そして、自分たちが権威あるものになれば、そうでないものに対して弾圧しようとしたり、封殺しようとすることもある。そのあたりもみてみたい。
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参考:
徒然草』の最後に、兼好が八つになったとき、父に聞いたという話がある。

「仏とは、どんなものなんでしょうか?」
「仏とは、人がなったものだよ」
「では、どのようにして人が仏になったのですか?」
「それは、仏の教えによって、仏になったのだよ」
「じゃあ、その教えた仏には、だれが教えたのですか?」
「それもまた、その先に教えた仏がいたのだよ」
「じゃあ、その先のその先の、教え始めた第一番目の仏は、どんな仏なんですか?」
次々と問いつめられて、父は答えに窮してしまった。
「ううむ……。それは、な。きっと、空から降ってきたか、土から湧いてきたんだろう」
いちばん最初の仏とは、空から降ってきたか土から湧いてきたのか。

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