過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

法華経と権威主義

法華経ってすごいお経と思われているけど、すごい権威主義なお経じゃない?」
そのことで、友人と語り合った。
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法華経権威主義的なところは、数々ある。そのひとつに例えば「授記」というものがある。
直弟子たち(声聞)に、釈迦が「将来必ず仏となる」と予言し保証することだ。たとえば、次のごとくだ。
舎利弗、汝未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし」(妙法蓮華経譬喩品第三)
法華経」がすごいとされる理由に2つあって、そのひとつが「二乗作仏」。他の大乗経典では、二乗(声聞と縁覚)は絶対に成仏できないとされたのに、法華経だけが、二乗の成仏を示した(授記)ということだ。
ちなみに、もうひとつは「久遠実成」。釈迦は無限の過去から実は仏であったことを示す。この論は、また別の機会に述べる。
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さて、権威主義と授記についてだ。
「授記」という思想は、釈迦によって、おまえはどのくらいの期間によって成仏するかと、差を設けている。これはランキング、あるいはヒエラルキーを作っているともいえる。
法華経」という経典は、さまざまな経典の中でも物語性があって、ドラマチックで面白いのはたしかだ。
しかし、その背後に「権威主義」がある。「優越思想」がある。「おれはすごいんだ。おまえらとはちがうんだ」「おれはすごい、おまえらはまちがっている」というところがある。
そういった、エネルギーを受けているのが、日蓮でもあるし、いまの創価学会にもあると感じられる。
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創価学会池田大作氏の権威漬けには呆れる。どこそこの大学から名誉教授の称号を受けた、その数は300だとの400だの、いまだに聖教新聞の一面にでかでかと出ている。
大作氏のもらった名誉称号、なんとか市民賞だの、なんとか博士とか勲章とか、その総数は1,000を超えると思う。
それを賛嘆しすごいと宣揚するのが、創価学会である。
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それって、やはりそこは仏教の教えとは、ずいぶんとちがうんじゃないかなあと思う。そりゃあ世法では、お金持ちとか、勲章とか、家柄とか、いい会社だとか、いい大学とか褒められるけれど。
しかし、そんなものは無価値。人から評価されるものは、無価値というのがほんらいの仏教の教えではないだろうか。
ま、仏教がどうのとは関係なく、自分の価値は自分で感じるもの。他からほめられたり、えらいといわれたり、評価されるのはどうでもいい。自分が納得のいく人生をおくる。それが大切と思うのだ。凡夫なので、他からの評価を欲しがる私であるが。