過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道

ZOOM楽座「自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道」
6月7日(日)と21(日)の20時〜23時の予定。
テーマ:日蓮の「三大秘法」。つぎに「戒壇本尊=板曼荼羅の偽作」。「日蓮国家主義」。あくまで、素材としてのテーマ。毎回、テーマを設定して自由な語り合いの場とする。
----------------
信仰を深めるには、かならずしも組織は必要ない。躍動がない信仰はつまらない。人生はつまらない。自由に自分のペースでやればいい。自分で探求していけばいい。なによりブッダがそうであった。日蓮がそうであった。祖師に習えばいい。
すなわち、自己探求の道だ。探求こそが楽しい。躍動がある。ブッダが言った。「犀の角のようにただ独り歩め」。「なにものにも依存しないで、自らを灯明として生きよ」と。
----------------
そこでZOOMである。自由な語り合いの場として、「自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道」をセットしてみた。
それぞれ道は違うかもしれないが、共感する友がいるのはたのしい。躍動もある。探求している人の体験や工夫にふれるのはのはおもしろい。
やはり、日蓮と法華の原形はこうだという基軸はある。それがないと収集がつかないので。だが、これという規制や結論や教義など、なにもない。各人が心身でとらえたところの日蓮・法華思想をわかちあえばいい。
「なるほど、そんなとらえかたがあるのか」。「そんなふうに祈ってもいいのか」。反論してもいい。なんでも許される場だ。選択肢が広がる。探求が楽しくなる。固定観念から ずるっとむける。笑ってしまえるようなフィールドが起きる。
----------------
背景として少し説明する。創価学会員は、公称1200万人。自らが入信したのではなく、親が信仰しているので、流れとしてかかわっているという二世や三世も多い。
信仰というのは、ほんらいは個人的な深みの問題。しかし、教団として布教拡大することによって伸びてきた。布教のエネルギーはすごい。そこには、他を救済しようということで自らが救われることもある。そこに、祈りと教学の深化、人間練磨も起きる。
だが、教団組織となると、いろいろな派閥力学もある。不自由も多い。妥協しなくてならないこともある。ましてや、政権与党の公明党を支えるとなると、その矛盾はある。宗教原理と政治とは、符合しない。
とはいうものの、教団組織を離れるのは怖い。罰(ばち)があるかもしれない。がんじがらめの人間関係もある。そこで、いやいながら創価学会の組織にいるという人も多いと思う。そんなところには躍動がない。
ということで、自由な語り合いの場としての「自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道」だ。
----------------
たとえば、漫荼羅にしても、これが正しいというものはないであろう。こんな漫荼羅がいい。こんなふうにつくってみた。祈り方、唱え方にしても、いろいろな工夫もあるだろう。歌のようにしてメロディーを作ってももいい。新しいリズムをつくってもいい。そんなことを披露しあっていく場になればいい。
参加ご自由。信仰の有無もご自由。ただ、護教的なあまり教条的なドグマを述べる人がいると、語り合いにならないので、そのあたりは注意させていただくこともある。