過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

戦争と原発はなぜ止まらないのか

「戦争は殺しあい。勝っても負けても悲劇」。そう思うのだが、戦争は起きる。止まらない。「原発は危ない。事故が起きたら取り返しがつかない。だから停止しよう」。そう思うのだが、停止しない。再開発しようという。

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祖国を守る。アジアに平和楽土を建設する。そんなスローガンで戦った太平洋戦争であった。しかし、無残な結末を迎えた。東京大空襲では一夜にして、約10万人の命が奪われた。100万人以上が焼け出された。戦没者310万人。戦禍による死者は、全アジアにおいて、一千万人以上に及んだ。

日本は、連合国に無条件降伏した。いまなお、日米地位協定はつづき、アメリカによる支配を受け続けている。日本人の精神性の弱体化、伝統文化の衰退が起きた。沖縄の基地問題従軍慰安婦の問題、 戦争の傷跡は残っている。

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かつての帝国主義の時代には、スペインやポルトガルによって南米やアフリカは植民地化された。アヘン戦争によって隣の清国はイギリスに支配され、西洋列強に切り刻まれた。日本もまた、このままでは植民地となる。 だから国を守らなければならない。祖国防衛のために戦う。それが正義とされた。

明治維新を迎え、富国強兵の道を歩み、朝鮮を支配し、日清戦争、そして日露戦争とつづく。 それは、祖国防衛のための戦争という思いがあったろうか。(防衛のために、外地に転戦していくのは、おかしいと思うが)

日本は、幸いにも日露戦争の勝利によって、一等国となった、アジアの盟主になった、と調子に乗っていく。日本の正義をアジアの国に示そうとし、「八紘一宇」、王道楽土を建設しようとした。拡大に次ぐ拡大で、短期的には成功した。しかし、アメリカの物量作戦と総合力で粉砕されたのであった。

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そして迎えた無条件降伏。もう二度と戦争をしない国にしよう。 そのためには「軍備を持たない」という憲法を作った、作らされた。

しかし経緯はともあれ、 多くの国民が「もう戦争したくない、二度と戦争はごめんだ」という気持ちがあった。

だが、戦争が終わって70年余。憲法を改正しようという動きがある。再び戦争の準備を始めようとしている流れが感じられる。

もちろん丸腰では国は守れない。近隣の国で、他国を侵略しようという動きもないことはない。日本にミサイルを向けている国もある。領土の争いも現実に起きている。

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しかし、戦争というものの本質を見てみると、「戦争をしないと経済が循環しない」といった軍産複合の構造があると思われる。

アメリカなど、まさにそういった構造に仕組まれており、世界のどこかで戦争が起きないと経済が循環しないようになっているのではなかろうか。

国を守るとか正義とか平和とかいうけれども、それはスローガン。内実は、自分たちが食っていくため、 自分たちが至福を肥やそうという動きが背後にあるのではないか。そこを見ていきたい。

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原発も同様で、 この地震大国日本にあって、 55基も原発があるのは、つねに一触即発の危機があるということだ。

福島原発の爆発による放射能の垂れ流しは、終わっていない。溶け落ちた核燃料(デブリ)が、どこに行ってしまったか、わからない。いまも汚染物質が海に垂れ流されている。それが終わるのは、何万年か何十万年後かというようなレベルである。

にもかかわらず、原発を再開発しようという動きが各地で起きている。それは、電力重要の問題もあるが、国や電力会社による補助金漬けになった自治体の構造の転換は難しい、という問題がある。

原発が止まると暮らしが立ち行かなくなる。だから原発は再開してもらいたいわけだ。

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たとえば静岡でいえば御前崎市浜岡原発による補助金は、この50年で500億円になる。一般会計の歳入に占める中部電関連の予算額の比率は264%。さらには、裾野の経済効果は莫大なもので、 原発が止まるとその効果はなくなってしまう。補助金依存体質になっている。

そこで、御前崎市などは、巨大な産業廃棄物の施設を作ろうとしている。そのことによって経済は循環し雇用が拡大し生活が豊かになると市長は言う。

それに対して猛反発し、住民条例で住民投票しようという動きがある。見守っていきたい動きである。