過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

渋沢栄一と春野町


渋沢栄一が、新1万円札の肖像に使われることにきまった。「この春野町は渋沢栄一と縁がある。どういうつながりがあったのか、その軸から村の歴史を探求してみたい」。郷土史家の木下恒夫(83歳)さんから相談を受けた。
 木下恒夫さんは、すでに1年かけて春野町と王子製紙の本「山里にやってきた文明開花」を執筆されている。
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春野町という集落が形成された源泉には、洋紙を生産する製紙工場(王子製紙)の設立にある。第一国立銀行を設立した渋沢栄一が中心となって作った企業である。日本で最初の木材パルプによね製紙工場だ。1889年のことである。
天竜川の支流・気田川の上流域には、木材パルプの原料に適したモミ・ツガなどが豊富にあり、その官林・民有林の入手が可能であったたことが、王子製紙の気田村進出の最大の理由であった。
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王子製紙ができたことで、多くの雇用が発生した。全国から仕事を求めて気田の村にやってきた。それが、春野町の源である。
渋沢栄一王子製紙、この村の歴史とを連動して何か企画ができないか、みんなで学び合い運動を起こしていけないか。
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さて、何を軸にして、探求していったら面白いだろうか。つぎの3つを考えた。
一つは、「王子製紙と集落の形成」。
一つには、「報徳思想」。
一つには、「経済に波に乗った人と乗れなかった人の格差」。
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渋沢栄一は日本資本主義の父ともいわれるが、たんに金儲けだけに走ったわけではない。その根底には、二宮尊徳を源泉とする「報徳思想」がある。
経済の繁栄とともに、多くの人に分かちあう。自らの人格を陶冶し、家と地域が整い、国が治まり、平和が訪れるという考えである。
二宮尊徳報徳思想が根付いたのは、この遠州である。掛川市にあっては大日本報徳社があり、隣町の森町や磐田市でも、経済思想の根底には、報徳思想があるのかもしれない。そのあたりを視野に入れた勉強会をしてみたらどうか。
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日本は戦争に大敗し、アメリカの経済発展、物質至上主義がすばらしいということで、欧米に「追いつき追い越せ」勤勉に働いてきた。
やがて、高度経済成長し、バブル期を迎えて、全世界の上位30社のほとんどは日本が占めるというほどの金持ち国家になった。しかし、それから30年、いまほとんど影がない。
「再びその夢をもう一度」ということは、もはやありえない。経済の根底に道徳があり、道徳なき経済は野蛮であるという考え方をもとに、渋沢栄一が日本資本主義を発展させた。
そのあたりを、この春野というフィールドで現実的にどうであったのか、その光と影を探求して学び合っていったら面白いと思う。