過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

のをあある とをあある やわあ

のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」

萩原朔太郎の詩「遺傳」の一説だ。詩集「青猫」に収められたもの。

うちの甲斐犬のランは、こんなふうにして1日3回、歌うように吠える。

白井鐵造という人が、この町の出身で、その人が「宝塚歌劇団」をつくった。
それで、「すみれの花の咲く頃」(定番のタカラヅカの歌)のチャイムが、朝と晩に流れる。

その度に、ランはも一緒になって遠吠えする。
「のをあある とをあある やわあ」。まさに歌うように吠える。

この「のをあある とをあある やわあ」という表現がまことに印象的。 

あかりと「のをあある とをあある やわあ」ごっこをしてあそぶ。「のをあある とをあある やわあ」といっては、あかりを追いかけまわす。あかりは、逃げる、逃げる。

あかりは「疲れるう」と言う。3歳児が疲れるわけないのだが、お父ちゃんとお母ちゃんは、年とっているので、「ああ疲れた」とよく言うので、それを真似しているのだ。

朔太郎の詩の「遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに あはれな先祖のすがたをかんじた」というごとくに。

遺傳

人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
  のをあある とをあある やわあ

もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴つてる。
お聽き! しづかにして
道路の向うで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。
  のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から
ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。

犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。
  のをあある とをあある のをあある やわああ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのですよ。」