過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

海外で働くという機会が二度あったが、どちらも辞退してしまった

海外で働くという機会が二度あったが、どちらも辞退してしまった。あのとき、ほいほいと行っていたら、人生も大きく変わっていたろうな。それをしなかったのは、未知の世界に飛び込むことを恐れていたのだと思う。

まず、T社の現地法人、ドイツのデュッセルドルフに転勤ということだった。命令で「いけ」と言われれば行ったと思うが、いくか?どうだ?という打診だったので、お断りした。

じつは当時、大乗仏教にハマっていて、教えてくれる先生の講義を受け続けられなくなることも一因だった。ドイツに暮らして、ヨーロッパのさまざまな文化に接することでできたのに、もったいないことをした。

さて、その会社も、いやになってやめたとき、さて次の仕事としてなにしよう。そうだ、やっぱり海外がいい。それには、日本語教師だということで、S学園に採用されて、台湾に行くことになった。日本語の教え方と中国語を3か月ほど学んで、台湾の住まいも決まって、さあいくよというときに、その寸前にやっばりやめてしまった。

台湾には、温泉があるし、食べ物か美味しくて、人々もいい。中国の古典文化も継承されている。北京語も覚えられて、そこから可能性がひらけたのになあと思う。

若いときには、いろいろな可能性がある。もちろん失敗もある。先はみえない。やってみないとわからない。けれども、一歩踏み込めば、次々と起こってくる現実とダンスするしかない。それがきっとすごくおもしろいはずだ。

やはり海外は憧れる。とくにインドやバリ。山里に移住したねらいの一つは、そこを拠点にして、冬の間はインドやバリで暮らすというのが夢だった。いまとなっては、すでに海外に行くチャンスもないし、海外で仕事できるワザも能力もない。インドに行く体力も余裕もなくなってきた。

まあしかし、山里にあって、日常の未知のこと、リスクのあること、苦難なこと、たくさんある。そこに飛び込んで、現実とダンスしていく。そこに喜びを見出していくという道がある。そう思うことにしている。