過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

暮らしの中で呼吸に気づいていくことによって、立ち上がっていこうとトライしている

宇宙とか世界、あるいは世の中というのは、外にあるもの。自分もそこに含まれている。

それらは自分の心の反映、ということもできるだろうか。自分の心がネガティブで悲観的な時、外に現れる世界は、ネガティブで悲観的。心が楽観的で希望に満ちている時、外に現れる世界は楽観的で希望に満ちている。

すべてが心の投影。世界はスクリーンにしか過ぎない。そうう捉え方もできるか。

なので、世界を変えようということは、自分自身を変えよう、自分のありようを変えよう、ということが先立たなければらない。

じつのところ、わが心が世界を形作っていて、心が消滅したら、もはや世界は存在しないのかもしれない。いや、心が消滅しても、世界はあり続けるのだとは思うが、しかし自分にとっての世界は、もはやない。

……などと考えていた。だが問題は、そうだとしても、「では心をいかにして変えることができるのか」。たとえば、絶望的だとしたら、いかにして希望にシフトできるのだろうか、と。

実践的、具体的にはどうしたらいいのだろうか。つねにそこを見ている。

人によっては、信仰によって希望を得る。日々の努力によって、希望を掴む。いろいろな実践があると思う。

いま見ているのは、その鍵は、呼吸にありと。暮らしの中で呼吸に気づいていくことによって、立ち上がっていこうとトライしているところである。