過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いまの葬儀における戒名というのは、やっぱりいろいろ無理がある

薬師寺貫主村上太胤氏の女性問題(ホステスとの不倫を週刊誌に暴露される)で辞任というニュース。

こないだ書いた川柳だけど、
───持戒せぬ 僧の授けし 戒名ぞ
───戒律を 授ける僧侶 戒もたず

戒名の大きな矛盾は、自ら戒律を保っていない僧侶が、他人(故人)に戒律を授ける儀式というところ。

葬儀とは、かたちとしては、「出家の儀式」である(浄土真宗はちがうが)。

故人が仏弟子になろうと発心する。そこで、故人の頭に剃刀を当てて剃髪したようにみせる。そして戒律を授ける。その証が戒名ということになる。そして故人は、あの世(あるいは浄土)で仏のもとで修行するという意味がある。

で、授ける戒律の中身である。大きくは次の五つ。
「不殺生戒」生き物を殺さない、「不偸盗戒」与えられたもの以外はとらない、「不邪婬戒」異性と性的なよこしまなことをしない、「不妄語戒」嘘をつかない、「不飲酒戒」酒を飲まない。

この五つの戒律を授ける、保ちますと誓う、そこで戒名が与えられるということになる。

しかし、その戒律を授ける僧侶が戒律を保っているのか、どうか。そこが苦しいところ。妻帯しているし、お酒だって飲むのが一般的だ。

早起きしない人が、「あなたは早起きしなさい」と自分のことは棚において、他人に対して戒めているようにもみえる。

……お寺やお坊さん批判したくて書いているのじゃあないんだけど。いまの葬儀における戒名というのは、やっぱりいろいろ無理があると思う。