過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いよいよ荼毘に付された

ひとつの静寂な送りの事例と思う。世の中の慣習とか権威とかしきたりとか、こだわらず。自分らしく、なによりも故人のよろこぶように、と。
家族が集う中、一昨日、田中さんの奥様は静かに息を引きとられた。延命治療などしなかった。栄養補給の点滴も水も絶った。そして、10日目だった。
「いよいよ旅立ちになりそう」ということで、北海道に暮らす娘さん五人家族が呼ばれた。そうして家族が和やかに、ともに過ごしている中、あれ?もう息をしていない。いつの間に……。そんなに穏やかな往生であったという。
「自然に死ぬとは、どういうものか」。そのことを示す感じ。


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この日のために、田中さんは柩(ひつぎ)を手づくりしてきた。あの世に旅立つ船のイメージで美しい流線形。友人の山口さん、鶴田さんが和紙でお経を貼り、杉のかんなくずで布団をしつらえた。
昨日、荼毘に付された。その日の朝、手づくりの柩に遺体を移し、田中さんの孫たちが遺体に花を添える。ぼくも道端に生えていたオレンジ色のコスモス、曼珠沙華を摘んでいった。花に囲まれた遺体は、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵画「オフィーリア」のような。
田中さんは、軽の箱バンで斎場に運ぶ。ぼくと娘さん家族が棺を運ぶ。お坊さんもよばない。お経もない。遺骨をひろうとき、「ま、舎利礼文(しゃりらいもん)でもとなえましょうか」とぼくがよんだ。あとは静かに合掌しておくった。
遺体が焼き終わると、杉をくり抜いて作った骨壷に入れる。ちょうど遺骨の収まるサイズでピッタリ。遺灰の一部は、田中さんの手元供養塔に、奥様の兄弟のおられる鹿児島、そして海洋に。


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世の葬儀は、型にはまってぎょうぎょうしい。多くは義理の参列者たち。すべての進行は葬儀社が仕切る。こういうときだけ仏教の出番。聞いても意味もわからぬお経、さらには死後の戒名。戒名を授ける坊さんが、自ら戒律を守っているのかというと……。
香典だ、香典返しだ、精進揚げだ。いろいろと遺族は忙しい。そうしたことに何十万円、何百万円もお金をかける日本の葬送のありよう。肝心の遺族の心が、亡き人に向かう余裕がない。
だが、こうした手づくりで家族だけのおくりには、余計な気苦労なし。まことにシンプル。無駄を削ぎ落とし、心を込めるのみ。すると遺族の心が充満する。なにが大切かというと、「おくる人の心」なんだから。
おわったあと、近くの木質系の落ち着いた喫茶店で田中さんとお茶。もとは、プロテスタント教会スウェーデン人の女性宣教師がつくった。娘さんたち家族は、フェリーでまた北海道に帰る。絶妙なタイミングであった。


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田中さんから、さきほど電話。「一日たって、家の中に気が満ちている」という。
「そうですよ、奥様が臨在しているのかも。煩わしくて制限の多い肉体を離れ、思いのあるところに時空を超えて移動される。楽になって、ゆうゆうと楽しんでおられる。いい葬儀でしたね」。そんな話をしたのだった。

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