仏教の三つの宝。それは「仏法僧」といわれる。
まず、仏=ブッダが宝である。
ブッダとは、真理に目覚めた人の意味である。ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)は、みずから解脱しその修行法、教えを伝えた人格者だから、仏教徒はブッダを宝と思い尊敬する。
つぎに法(教え)が宝である。
ブッダが伝えた教え、弟子たちが継承した教え。その教えを通して、自らの心を清めていくので、宝である。
さて、三つ目の「僧」ってなんだろう。
多くの人が誤解しているが、これは「僧侶=お坊さん」だけのことではない。
サンガ(संघ Saṃgha)という古代インドの言葉を漢訳したとき、音をとって「僧伽」(さんが=そうぎゃ)とした。「伽」がとれて、「僧」となった。
古代インドの言葉をみると「集いあう、一緒に」というような意味あいとなる。なので、「和合僧」とも訳される。
ブッダを尊敬し、その教えを学びあう集いを「サンガ=僧」というわけだ。
インドにあっては、寄り集まり、祈り、歌ったりする儀式を「サット・サンガ」よぶ。「サット」=真実、正しい「サンガ」=集まりということだ。
教えをはじめた人がいる。その教えをみんなで学ぶ。その集いこそが宝ということになる。
これはキリスト教でも似ている。教会とは、建物が本来の意味ではなくて、イエスの教を学びあう集いこそが教会である。
イエスの言葉として、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ伝)と伝えられいるごとくだ。
ということで、僧とはお坊さんだけのことではない(もちろん清浄な戒律をたもち、きちんと修行している方は尊ばれる)。仏教を学びあう集いこそがたいせつなのだ。
仏教の学びは楽しい。奥が深い。際限がない。そして、なにより暮らしに生きてくる知恵の教えだと思う。そうしたサンガをつくっていけたらいいな。