過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

板曼荼羅真偽論争に決着という本の企画を

きょうは企画書作りに専念。今年は、本業に立ち戻って、執筆と本の企画、編集のほうにエネルギーを注ぐつもり。

で、友人との縁で、こういう本を企画している。なかなか際どいと思うけど。さてさて……。「板曼荼羅真偽論争に決着」という内容。

1.日蓮正宗系(本山、富士大石寺)の宗教には、1,000万人を超える信徒がいる(創価学会顕正会法華講など:創価学会日蓮正宗と決裂したが)。その信仰の熱心さは、既成仏教の檀家とは大きくちがう。葬儀や法事が主ではなく、日々の暮らしにおいて、日蓮の教えが生きているともいえる。

2.かれらの信仰の中核は、本門の本尊である。すなわち、日蓮のあらわしたとされる大石寺の板漫荼羅である。これを拝めば、絶対に幸福になると信じてきた。そして、熱心に布教してきたことで、いまの勢力がある。

3.さて、その信仰の中核たる本尊(板漫荼羅)は、はたして「本物かどうか」……。「日蓮がつくったものなのか、後世の作なのか」。その真贋は、じつは定かではない。これまで、真実であるとする証拠も偽物(後世の偽作)であると確定する証拠も、提示されたことはなかった。

4.本書では、これまでにない画期的な手法で、その検証を行った。観念論でも教義論でもない。文献を示すのみではない。写真と図版で事実を示すことで、だれがみても、「なるほど後世の偽作だ」と一目瞭然にしてわかるようになった。これによって、これまでの真贋論争に決着がつくことになる。

5.この事実を示すことで、本門の本尊(板漫荼羅)は後世の作、日蓮のつくったものではない、ニセモノだということが、白日のもとに曝されることになる。

そうだとしたら、信徒にとっては、これはゆゆしき大問題である。「それはほんとうか。実際のところ、どうなんだ」。興味と恐れを抱いて本書を手にすることになると思う。

6.事実が示されることによって、かれらの信仰の基盤が、ゆらぐことになるのかどうか。

「偽物であってもなんでもいい。とにかく信じていく」とする人。「ニセモノであったなら、では真実の本尊は何なのか。探求していきたい」とする人。「そのような物体など、どうでもいい。もっと真実の信仰のあり方があるはずだ」と思う人。

さまざまな信仰のあり方があると思う。そのような人たちの思いもまとめてみた。また、これからの方向性も示してみた。