過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

フランスに流出した阿弥陀像

明治政府の「神仏分離令」によって廃仏毀釈が起きた。多くの寺院が破壊された。たとえば、鹿児島県だけで1066か寺が廃寺。全国で破壊された寺院や堂の数は、おびただしいと思われる。明治維新に先行した水戸や長州では、何千という寺が破壊された。

貴重な仏像や経巻、宝物が破壊され、燃やされ、川に流された。あるいは海外に流出した。いまは国宝の興福寺五重塔も売りに出された。購入者が五重塔に火をつけて金物だけを回収しようとした。

さて、海外に売り飛ばされた大仏の話である。

東京の目黒に蟠龍寺(ばんりゅうじ)という浄土宗の寺がある。本尊は大きな阿弥陀如来で、目黒大仏と呼ばれた。「江戸名所図絵」に載っている。その阿弥陀像は、海外に売り飛ばされていた。

これは、吉田住職から聞いた話である。吉田さんは、浄土宗の布教師会会長を務められた方である。吉田さんは、本尊の阿弥陀如来がどうしてなくなったのか、そのいきさつを調べていた。

横浜港の明治の出航記録を調べると、それらしい記述が見つかった。それによると、どうもフランスに運ばれたらしい。

パリに滞在していた南方熊楠の日記に、阿弥陀像の話が書かれていたことを知る。その像こそ、わが寺の阿弥陀さまじゃないか。吉田さんは、そう思って、フランスとやりとりをする。

やがて阿弥陀像の居場所をつきとめた。パリ郊外のセルニュスキ美術館(Musee Cernuschi)で、展示されていたことを知る。

当時のパリ市長はシラク氏(後に大統領)であった。そのやりとりのなかで、シラク氏は吉田住職を、美術館のセレモニーに招待する。

住職はパリに行くことなった。美術館では、入り口から赤い絨毯が敷かれ、たいへんな歓迎ぶり。阿弥陀像の前には、漢の時代の香炉がセットされていた。

こうして住職は、自分のお寺の本尊とやっと対面する。フランスに流出してから、100年以上もたっている。

大仏の前で、お経をよみ、念仏を称えた。涙が滂沱としてこぼれした。日本からよく来てくれましたなあ。なあに、心配いらんよ。ここで大切にされておるから。──そう、阿弥陀さんがつぶやいたような気がしたのだった。

大仏を買っていった人物も判明した。フランス革命の後のパリコミューンのとき、政治思想犯として追及されていた人物で、フランスから上海に逃げ、さらに日本にたどり着いたという。

写真は、下記ブログから拝借。https://4travel.jp/travelogue/10491760