過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

明治の神仏分離令の影響について

秋葉信仰について訪ねて来られた二人の方と、明治の神仏分離令の影響について話しあった。

神仏和合として秋葉信仰ネットワークを作りたいという。ひとりは歴史学者であり、自治体の市史などの編纂をされている。

明治の神仏分離令によって、それまで神仏は一体であり、混淆し、和合していたものが、強制的に分離させられた。

そのため、数多くの寺院が破壊された。いまでは国宝クラスの仏像、経巻、伽藍も燃やされたりした。

この山里にある秋葉神社は、全国の末社があり、火防(ひぶせ)の神として全国からの参詣があった。

しかし、秋葉信仰の基である秋葉寺は破壊され、信仰の中核の三尺坊権現は、袋井の可睡斎に移された。

教会は、その神仏分離の強硬な政策に対抗できず、国家の政策にすりよるしかなかった。

たとえば、最も抵抗が強いとみなされる浄土真宗でも同様である。

浄土真宗は、親鸞の教えをもとにしている。阿弥陀如来への唯一の絶対的な信を置いている。ゆえに、他の本尊など拝まない。加持祈祷もしない。法位や吉凶など占うこともない。

けれども、次のような東本願寺による上奏文案が残っている。

阿弥陀如来は、皇祖神(天照大神)と同体であり。その神が、智慧として現れると天ノ御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)。慈悲として現れると阿弥陀如来となる。……そのように述べている。

「わが宗に崇むる所の本尊は阿弥陀如来と申して、恐れながら皇国天祖の尊(みこと)と同体異名にして、智慧より現れては天ノ御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と称し奉り、慈悲より現れては弥陀如来と申し候」(明治4年の東本願寺上奏文案:「神々の明治維新安丸良夫著より)