過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

つねに神とともにいる、神がともにおわす

仏教の源流インド(2)

インドの挨拶「ナマステー」のことを書いたが、インドの聖地を訪ねると、修行者たちから、よく「ハリ・オーム」とか「ナマ・シヴァーヤ」という挨拶を受ける。

「ハリ・オーム」の「ハリー」はヴィシュヌという最高神。「オーム」は、宇宙と存在と自分をつらぬく聖なる響き、振動といったらよいか。

「ナマ・シヴァーヤ」の「ナマ」は、「ナマハ、ナマス」の「ナマ」で、帰依しますということ。「シヴァーヤ」は、シヴァ神。「シヴァ神に帰依します」ということになる。たがいに神の名をよんで挨拶するわけだ。

あるいは、「ハレ・クリシュナ」という挨拶も受ける。クリシュナも、神の名前である。あるいは、「ラーム」とも挨拶を受けることもある。ラームも、神だ。マハトマ・ガンディーが、銃弾に倒れたとき「ヘー ラーム」(おお神よ)とつぶやいて、息を引き取った。

このように、挨拶のとき、瞑想のとき、祈るとき、つねに神の名前をとなえるのが、インドだ。多くのインド人は、つねに神とともにいる、神がともにおわす、神が見守ってくださる、そういう意識で暮らしていると感じた。