過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インド哲学の基本のキ スワルナリさんから

横田スワルナリさんが、あそびにきてくれた。この方が来ると、いつもインド哲学の話になる。代々バラモンの家系に生まれ、話にインド哲学が濃縮されている。

東インドベンガル出身。日本人に嫁いで33年。磐田市在住。ベンガル語ヒンディー語、英語、日本語が堪能。

雑談を音声入力変換しながら、まとめてみた。話を聞いて、自分の頭でまとめて音声で入力。そして、あとで編集。メモということで。

この方の講座を今月、ZOOMで行う予定。
インド哲学の基本のキ。内容は、以下のようなものが主になると思う。※池谷がざっとまとめているので、ザツになっている。
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バラモンの務めはヒンドゥーの文脈を守ること。ヒンドゥー智慧と生き方を学び伝えること。

バラモン教のエッセンスといわれれば、それはヴェーダである。『リグ・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』の4つ。そして『ウパニシャッド』の哲学。

詩として結晶したものが、「バガヴァット・ギータ」である。
そこで「死ぬとは何か」「なぜ私はここにいるのか」「私は誰か」ということを教えている。これは壮大な叙事詩である「マハーバーラタ」の背景を知らなければ、なかなかわからない。
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バラモン教ヒンドゥー教とは、どう違うのか。
それは同じである。海外からインドの宗教を見たときに、ヒンドゥー教という。

そこには仏教やジャイナ教、インドの土着の宗教もヒンドゥー教に含まれる。ただし、キリスト教イスラム教、ゾロアスターユダヤ教などは含まれない。
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インドはつねに3つ主要概念で世界を解釈していく。

神(存在)のありようとしては、ブラフマン(すべてのもの、宇宙原理)があって、そこから力として、ブラーフマン(創造)、ヴィシュヌ(維持)、シヴァ(破壊)という働きがある。それはトリムルティ(3つにして1つ、1つにして3つ)。

人生の目的は、ダルマ、カルマ、アルタというとらえかたがある。
ダルマは人間としてなすべきこと。カルマは行為(身体動作、喋ったこと、思ったこと)。アルタは、豊かさ。財産であり、心の豊かさであり、アート(ワザ・芸術)。

悟りのありようとして、サット・チット・アーナンダというとらえかた。
サットは悟り、チットはコンシャスネス(心意識)アーナンダは至福。至福に包まれた存在としての意識。

ヨーガも3つとしてとらえられる。カルマヨーガ(行為としてのヨーガ)。バクティ・ヨーガ(献身としてのヨーガ)。ジュニャーナ・ヨーガ(智慧としてヨーガ)。

心の気質として、ラジャス(激質)・タマス(暗愚な質)・サットヴァ(悟りの質)という3つのとらえ方がある。トリグナという。
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プルシャとプラクリティという考え方がある。
ブラーフマン、ヴィシュヌ、シヴァという神が具体的に、サラスヴァティ、ラクシュミーパールヴァティー という神々として現れる。

プルシャは一定したエナジー
雨が降るのはプルシャ。どこにでもいたるところにも降る。降ったところの、地面などがプラクリティ。ネイチャーともいえる。

神の変遷。文明の発祥の頃は、民族や部族間の争い、自然災害との戦いがあり、それにともなって、神々もバシいものがあらわれる。インドでいうと、インドラやアグニ。ギリシャの神々も同様。日本神話でもスサノオなど戦いの神が現れている。
そうして、人々が調和して安定してくると安定した神が現れてくる。
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ヒンドゥーにおいては、神々は畏怖されるものでもなく、身近にいる友達、親、師匠のようなものである。有名な章句がある。

Tvameva Mata- cha Pita- tvameva
トワメーヴァ(あなた)マータ(母)チャ(そして)ピタ(父) トワメーヴァ
Tvameva Bandhuh cha sakha tvameva|
トワメーヴァ バンドゥー(親戚) チャ サカー(友達)トワメーヴァ
Tvameva- Viddhya- Dravinam- tvameva
トワメーヴァ ヴィッデャ(知識) ドラヴィナン(お金・成功) トワメーヴァ
Tvameva- Sarvan- Mamadeva- deva
トワメーヴァ サルヴァン(すべて) ママ デーヴァ(神々) デーヴァ

わたしもあなたも、親戚も、知識も、成功も、神々もすべてが友達である。宇宙が全て友達である。そして、すべてが自分自身である。
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その境地にどこまで究極的に高められるか。
病から、苦しみから、悩みから、すべてのものから自由になる。それは、ブラフマン(すべてのもの、宇宙原理)とともになることである。

それは、「無」になることといえる。
無になるにはどうしたらいいか。
どんなものにも関心を持たない。無関心であること。執着を持たないこと。渇望もなければ、愛もない、憎しみもない。
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インド哲学のエッセンス。
Aham brahma Asmi (アハン ブランマ スミ) 私はブラフマンなり
Tat tvam Asi (タット トゥヴァム アシ)あなたが、それである。