過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「神社・寺カフェ」のスタートをきる

歯医者はクルマで1時間半かけて、〈まちなか〉に通っている。せっかく〈まちなか〉に出たので、きょうはお寺に飛び込み訪問してみた。

「神社・寺カフェ」の2回目を来年の1〜2月に開催するので、そのためにお寺の参加をリクルートしている。きょうからスタートすることにした。

ぼくはだいたい直感で動く。運転していて、あ、ここおもしろそうというところを訪ねる。そこは浄土宗のお寺で、立派な大木のあるお寺だった。法然上人のお師匠さんが龍になって沈潜しているという桜ヶ池を訪ねた帰りに寄って、上人が手植えしたものだという。その大木がたいそう立派なので、訪ねてみようという気になったのだ。

しかし、なにしろいきなりの飛び込みだ。なんかアヤしいセールスみたいに思われる。門前払いは、あたりまえ。しかし、縁があればうまくいく。うまくいかなくても、なにかすすむ。そんな思いで、訪ねたのだった。

出てこられたのは、おそらく住職のお母様だろう。そのお母様と立ち話。住職はいま忙しいからと、取り次いでもくれない。ああ、そういう企画は、うちみたいな地味な寺は向かないのでお断りです、と門前払い。

ついでに、知りあいのお寺さんに電話してこれから寄りたいというと、いまからお通夜だというので、これもダメ。ということで、なかなかうまくはすすまない。そりゃ、あたりまえだ。想定内。

ほんとは、飛び込みなんかしないで、第一回目に参加してくれたお寺さんから紹介してもらえば、すんなりいくと思う。それはそれで、明日から、その路線ですすめていく。

とにかく、スタートをきれば、はじまる。はじまれば、動きだす。動きだせば、だんだんエネルギーが高まって、次第にスムースに運ぶようになる。おもしろくなってくる。やがて弾みがつく。どんどんすすむ。これはいろいろやってきて、ぼくの経験則。

最初の一歩というのは、すごく重たくて、ストレスがすごい。ということで、そのプロセスをいま味わっているところ。