過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山田龍宝さんの思い出    笹目仙人を訪ねる

友人で、山田龍宝という元禅僧がいた。70年代、曹洞宗のサンフランシスコの禅センターで、禅を指導していた。当時はヒッピームーブメントの渦中で、宇宙飛行士のシュワイカートとか、ヒーリングミュージックの宮下富実夫とか、トランスパーソナル心理学吉福伸逸さんとか、幅広い交友があった。まあ、知る人ぞ知るという御仁である。

しばらくは奈良の天河村で暮らしていた。緑内障で、かなり目が不自由だった。晩年はアメリカで活動していたが、ガンにかかってついにアメリカで亡くなった。

龍宝さんは、よく東京のわが家に泊まりにきては、長く滞在していた。仏教のこと、禅のこと、神道のこと、夜な夜な語りあったものだった。龍宝さんのもとで得度した方から、朝、メールを頂いた。かれの思い出やエピソードを集めていきたいということだった。ということで、想い出すままに、かれのエピソードを書いていこうと思う。

奥多摩の大岳に暮らす笹目秀和という仙人に、龍宝さんと会いにいったことがあった。いまの皇太子はよく大岳を登山されていた。笹目仙人は、そのことを知っていて、皇太子が登ってくると、どうぞこちらへと道院に案内してしまう。そんな不思議な仙人であった。

大本教団が、国家によって神殿をダイナマイトで破壊されようとするとき、そのことを予感した出口王仁三郎師は、笹目氏に大本の御神体を預けた。笹目氏は、それを携えて、モンゴルの崑崙山脈の頂上に登って納めてきたという。

さて、その笹目仙人の部屋を訪ねたのだった。龍宝さんは、「切診整体」が得意で、いろいろ体なおしもできた。笹目仙人が、膝が痛いというので、それを直してあげていた。ギュー。おお、痛いですなぁと仙人。これくらい我慢しなくちゃいかんですよと龍宝さん。その横でぼくは、仙人に、大本の御神体を崑崙山に納めてきた体験をお聞きしたのだった。