過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「日面仏、月面仏」

「日面仏、月面仏」。意味は分からないが、印象にのこる仏の名前だ。「日面仏」とはものすごく長遠の寿命のある仏。「月面仏」とは、一日一夜という寿命の短い仏のことらしい。

『碧巌録』』(へきがんろく)にでてくる言葉だ。この書は禅の「公案」を編集したもので、中国の宋の時代につくられた。えらく難しい禅語録で、ぼくには内容はてんでわからない。が、斧で大木を伐り倒すような風情を感じることがある。それで、文章に惹かれて、いつも字面だけは追っている。

この仏が出くるのは、その第三則だ。「馬大師、不安。院主問う、和尚 近日 尊候 如何。大師云く、日面仏、月面仏」とある。

禅宗の第八祖、馬祖道一(ばそどういつ)が、「不安」(安からず)。病にあるという。院主(執事)が「お体の具合は、いかがですか」と見舞う。馬祖は一言。「日面仏、月面仏」と。

悟りに至った仏さんでも、「日面仏」ような寿命の長い仏さんもあれば、「月面仏」のような短い仏さんもある。

「死ぬときは、死ぬときだ。そんなものだ」。馬祖は、そう言いたいのだろうか。

良寛さんは「病む時は病むがよく御座候、死ぬ時は死ぬがよく御座候、これ病死よりすくわる妙薬にて御座候」と。

生きているというのは、まさに、いまこの瞬間にしかない。過去は過ぎたこと。未来はまだやってこない。いまを徹底する。ここを徹底する。いま病にあるなら、病にあることをまっとうするしかない。死を迎えるのであれば、死を迎えることをまっとうするしかない。……などと書いてはみたものの、ちゃんと腑に落ちているわけではない。